自宅に到着した私は、姉からの「まだ、父さんが実家に戻っていない」との連絡を受けて、急いで自宅のPCからココセコムのサイトにアクセスして父の車の位置を調べました。
仰天しました ―― 父の車は、自宅から北東15kmのところにいたからです。
もはや「最大10回」などということに拘っている場合ではありませんでした。私は、追加のアクセス料金(1回100円)を、何度も発行しながら父の車の位置をトラッキングし続けました。
父は、自宅を見失って、東西南北関係なく、ダイナミックに迷走をしていました。
PCの前で、
―― 父が自力で自宅に戻れる可能性はない
と判断した私は、速攻で、ココセコムのセンターに電話して、「現場急行サービス(1万円/1回)」による、父の身柄の確保の依頼を行いました。
しかし、セコム社からは「移動している自動車の追跡はできない」と言われました。
移動している自動車を追尾するには、スピード違反を前提とした追跡が必要な上、確保までの距離や時間も不明です。徘徊老人や迷子の子供を確保するのとは訳が違うのです*)。
*)私は、『特別料金を、そちらの言い値で支払う』とまで申し出たのですが、ダメでした。
その時の私にできることは、「(1)父の自動車のガス欠を待つ」と「(2)事故の発生による、車が完全に停止するのを待つ」の2つしかありませんでした。
しかし、(1)については、ガス欠までの時間が予測できず(最悪、給油されたらどうしようもない)、(2)については「程度の軽い自損事故」であるならともかく、他人を殺傷するような大事故を起こしてしまったら、と思うと、恐怖で気が狂いそうになりました。
この時の私が、何を考えていたのかを、正直に言えば、
―― 頼むから、誰にも迷惑をかけずに、一人で死んでくれ
でした。
父の安否よりも、父に殺されるかもしれない人のことで、頭がいっぱいだったのです。
私は、姉に、自動車で父を追跡するよう頼みました。
自宅(東京)のPCで父の位置を把握した後、姉の車に同乗している姪に電話をして、父の車の大まかなエリアまでの経路の指示をしました。そのエリアに最短時間で移動できるように、高速道路のルートに、姉の車を誘導したのです。
姉の車が、父の車が迷走しているエリアに急行しているさなかに、父の車の方に異変が起こりました。父の車が、山道に迷い込んでしまったのです。
ラッキーなことに、この山道は行き止まりの細い道で、うまく行けば、そこで車が動かせなくなります(瀬戸大滝)。
『真夜中の森の中での行き止まり ―― これでチェックメイトだ』と私は安堵の溜息をつきました。父の車の位置は、私が把握しており、この位置であれば、姉は1時間以内に父を確保できると確信しました。
1月の山中に、父が車外に出てしまえば、遭難(死亡)は確定でしょうが、父は少なくとも夜明けを待つだろうと考えました。姉による父の確保までには十分な時間がありました。
ようやく、今回の事件、これでケリが付いた、と思っていましたが、それは甘かったのです。この時、“最悪の舞台”の準備が整っていたのです。
私が悲鳴を上げたのは、父が、行き止まりの山道から方向転換に成功して、山道を脱出していることを確認した時でした。
「馬鹿野郎! そこで止まっていやがれ!! いらんことするな!」と、自宅のPCの前で怒鳴り散らしている私を、家族がおびえた表情で、遠巻きに眺めていました。
しかし、父は、私がPC経由で、父の居場所を完全に把握していること知りません。父が自力で脱出を試みたのは、当然とも言えます。
そして私が、家の中に鳴り響く悲鳴を上げたのは、「父の車が高速道路へ進入した」ことを確認した時です。
「高速道路の逆走」という最悪のシナリオを頭に浮べた私は、悲鳴を上げた3秒後に愛知県警と日本道路公団の電話番号を調べて、電話をかけて、1分以内で状況を説明し、口頭で父の車の位置情報(せと品野IC)を報せました(その後の、愛知県警と日本道路公団の動きについては、知らされていないので分からないのですが、姉によると、道路の上下線ともに緊急車両が何台も走っていたそうです)。
この時点で、私は更新ボタンを連打し続けてココセコムへのアクセスを続けました。高速道路では車のスピードが速くなるからです。もう、1回100円のコストなど、問題ではありませんでした。
父が、セト赤津ICの支払いゲートで停止し続けているのを確認した時、「しめた!」と叫びました。
父は支払いができずに料金ゲートで止まっている ―― 捕まえるなら今だ
私は、セト赤津ICの事務所に電話して、開口一番「今そこに、支払いができずに止まっている、老人が運転する車がいるはずです」と畳みかけました。
係の人(女性だった)は、驚いたように「はい」と返事をされました ―― 何で知っているんだ? と、驚いた風で。
「私は、その男の息子です。とにかく、その男を、車から引き離して下さい。鍵を引き抜いて、何を言われようとも、絶対にその男には渡さないで下さい」
「約40分後に、その男の娘(=私の姉)が、そちらに到着します。姪と二人連れで参上します。詳しい事情は彼女たちから説明させます。とにかく、何をしても構いません。殴っても、縛りつけても構いませんので、絶対にその男に車を渡さないで下さい」
と、一気に話して電話を切り、今度は、移動中の姉の車に乗っている姪に電話をしました。
「じいちゃんは、現在、セト赤津ICの事務所で拘束中。そのままカーナビの目的地をセト赤津ICに変更。高速に乗ったままで向かえるはずだから、じいちゃんの身柄を押えてくれ。じいちゃん本人であることを確認したら、すぐに私にコールバックを」
と言いました。
私は、父であることを確実に確認するまでは、愛知県警にも、道路公団にも、緊急配備を解除してもらうつもりはなかったのです。
午前0時過ぎ、姉からの電話を受け、本件、終了しました ―― もちろん、これだけで、終わる訳がありませんでしたが。
私がこの事件で警察に緊急通報をしたのは、父のためではなく、無関係な人が事故に巻き込まれる可能性を、コンマ1%でも減らすためでした。私たち姉弟は、最悪の事態(高速道路の逆走)まで想定して、それを食い止めるために、秒単位で行動したのです。
そのことを褒めてもらうつもりは1mmもありません。
しかし、私たちの苦渋の、そして最速の決断と行動に対して、愛知県警は『事件の発生を事前に予見しながら、それを故意に看過した』と非難し、叱責しました。
私は、このことを今でも覚えていますし、今後も忘れることはないでしょう。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.