COVID-19の影響で完全デジタル開催となる「CES 2021」。20年以上にわたるCESの常連である筆者は、「CESの実会場での開催は中止」という知らせを受け取った時、ひそかに喜んでしまった。
筆者は長年、世界最大規模の技術展示会「CES」に参加するために米国ネバダ州ラスベガスに足を運んできた。だが、CESの主催団体であるConsumer Technology Association(CTA)の熱心な案内にもかかわらず、CESに参加したい気持ちが湧き立つことは一度もなかった。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行が拡大する中、筆者の数少ない喜びの一つは、“絶対に参加すべき”「CES 2021」の実会場での開催の中止を知らせるCTAからの電子メールを受け取った瞬間だった。
編集者注:「CES 2021」は2021年1月6〜9日(米国時間)にオンラインで開催される。
筆者は20年以上にわたるCESの常連で、常にEE Timesの編集記者である妻(Junko Yoshida氏)に同行して取材を手伝ってきた。毎年CESに参加するたびに、自身のジャーナリストとしての信用の低さを痛感するとともに、技術系メディアである米国EE Timesの評判を汚しているような気もしていた。
私たち2人が取材チームを組んで以来、筆者は妻に同行して、ミュンヘンやパリ、カンヌ、シカゴ、モントルー、ベルリン、サンフランシスコ、マルタ、ニューヨーク、ダブリン、大阪、ワシントン、ボルドー、アイントホーフェン、幕張、ブリュッセル、台北、ロサンゼルス、東京で開催されたトレードショーやセミナー、カンファレンス、技術イベントに出かけた。筆者はどの会場でも、いつも「イベントの参加者は皆、一体何を話しているのだろう」とぼんやりと感じていた。
私たちが最も頻繁に取材してきたのは、「Mobile World Congress」(バルセロナ)とCES(ラスベガス)で、どちらも2020年(と2021年)はCOVID-19の犠牲になった。ただCESがキャンセルされたことで、筆者は2021年1月の苦悩を免れた。少なくとも、ラスベガスへの強制的な“巡礼”が迫る中、クリスマスシーズンに立ち込めていた暗雲は一掃された。CESは通常、公現祭(エピファニー/1月6日のキリスト教の祝日)のころに(社会科学者が親しみを込めて“アメリカ文化のるつぼ”と呼ぶ)ラスベガスで開催されている。
例えば、報道関係者向けプレイベントである「CES Unveiled」(CESの制約のないイベントとして、むしろ「CES Unchained」と呼びたい)も、中止になってせいせいすることの一つだ。
CES Unveiledは、ガジェットやウェアラブルデバイス、センサー、おもちゃ、がらくたのようなあれやこれや、カードトリックなどが展示される、カーニバルの余興的なイベントで、筆者は、カメラ小僧ややじ馬、ブロガー、インフルエンサーの群れをかき分けて、イノベーションの数々の写真を撮り、キャプションを付ける。だが、これらのイノベーションは、シンプルで整然とした、有意義な消費生活には過剰で、むしろ適していないように思える。
「ラスベガスコンベンションセンター」の廊下や群衆がひしめくCESの無数のショーフロアでの押し合いへし合いや、イベント参加者がぎゅうぎゅう詰めになった中での小競り合いからも逃れられる。
(2021年の年明けは)「サンズ・コンベンションセンター」から恐怖の目的地(ラスベガス・コンベンションセンター)に向かうバスに乗るために、列に30分並ぶ必要はない。メディアセンターで、山のように積まれたランチボックスを求めるジャーナリストの群れをかき分けて進む必要もない。さらにその後、まるでシマウマの死骸に群がるハイエナのように、ハム&チーズサンドやビーガンサラダにがっつきながらキーボードをたたくジャーナリストたちに囲まれてランチを食べずに済むことに、日々感謝している。
毎日のニュースの締め切りや、毎年20万人以上が押し寄せる4平方マイルの広大なラスベガスストリップを汗だくで行ったり来たりすることからも逃れられる。カンファレンスルームの入り口を警備する治安警察による所持品検査のせいで、新製品紹介に遅れることもない。あらゆる産業トレードショーに付き物だった誇大広告やプロパガンダ、飾り立てられたキャッチフレーズを見なくて済むこともうれしい。
だがもちろん、癒やしのひと時もある。CESの期間を通して、多くの切れ者と一緒に仕事をしたり、情熱的な天才を紹介されたりする。広報担当者のもてなしを受け、おいしい料理に舌鼓を打つこともあるのだ。
何より、ラスベガスの街では思いもよらぬシーンに出会うことがある。筆者は通常、ラスベガス滞在中に1日休みを取って、街を散策する。筆者はギャンブルやストリップクラブ、5米ドルのビュッフェ、パステルカラーのカクテル、セリーヌ・ディオンに関心はない。だがなぜかこの街では、そうした光景が心をくすぐり、ついシャッターを切ってしまう。
それでもやはり、1月の1週間を、気だるく、どこか哀愁が漂う街で過ごす必要がないことを、後悔するような気持ちには決してならないのだ。
【翻訳:滝本麻貴、編集:EE Times Japan】
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