筆者は運転中に、周囲のクルマを運転する人について(男女関係なく)「嫌な奴!」と感じることがある。それは、その人が筆者の進路に割り込もうとしていると感じたときで、その勘は大体当たっている。
筆者は運転中に、周囲のクルマを運転する人について(男女関係なく)「嫌な奴!」と感じることがある。それは、その人が筆者の進路に割り込もうとしていると感じたときで、その勘は大体当たっている。
人間のドライバーは、他の道路利用者や道路状況(悪天候)、渋滞が発生しそうな兆候などについて、たくさんの予測を行い、それに応じて運転の方針(通る道やスピードなど)を調整している。こうした“直感”は、実は交通安全にとって非常に重要だ。
では、自動運転車の場合はどうだろうか。他のドライバーについての推察や、直感に基づいた適切な対応の仕方を、どのようにマシンに教えればいいのだろうか。そもそも、「直感」を教えることは可能なのだろうか。
筆者は先日、Mobileyeが投稿したビデオクリップに関する分析を書きながら、こうした疑問に頭を悩ませていた。未編集のビデオクリップには、同社の自動運転車がエルサレムの交通渋滞を巧みに切り抜けていく様子が映されていた。
筆者は、このビデオクリップをフレームごとに何度も見たが、マシンの”頭脳”を理解することはできなかった。マシンが何を見ているのか(または見ていないのか)、状況をどのように解釈しているのか、どのような行動をとるつもりなのかを理解したかったが、自動運転車の開発者ではない筆者にはマシンの気持ちは分からなかった。マシンは独自の言語を話し、サイバー思考の奥深くで選択しているようだが、筆者には理解できなかった。
“マシンの自律”の時代を迎えたということなのだろうか。
Mobileyeのビデオを見ていると、自動運転車がふに落ちない動きをする場面がいくつかあった。そこで、この動きの裏で何が起こっているのかをMobileyeと自動運転車の専門家に尋ねてみた。
答えの中には意外なものや示唆に富むものがあり、そのほとんどはメディアが見落としたり矮小(わいしょう)化したりしがちなこと、つまり「認知」と「運転方針」が交わるポイントに触れていた。自動運転車は確かに、鋭い認知能力(これについては何度も書いている)と、より優れた機械学習能力(メディア報道で最もホットな話題)を備えている必要がある。しかし、自動運転車のコンマ何秒の意思決定に不可欠なのは運転方針であることが理解され始めている。
私たちは皆、自動運転車に優れた視力と判断力が搭載されることを望んでいる。前方の道路をはっきりと見るだけでなく、あらゆる対象物を検知してそれを正確に分類し、現時点で最高レベルのニューラルネットワークを利用して正しい措置を講じることを期待している。
しかし、現在搭載されているのは、“適切な”レベルの認識システムにすぎない。
Intelのシニアプリンシパルエンジニアで、Mobileyeの自律走行車基準担当バイスプレジデントでもあるJack Weast氏は最近、EE Timesが毎週公開しているラジオ「EE Times on Air Weekly Briefing」で、「知覚または視覚システムはもともと確率的であり、失敗することで知られている」と語った。
完璧なセンサーのようなもの(例えば、自動車の寿命にわたって常に100%正確なセンサー)など存在しないことを踏まえると、「十分なセンシング能力を実現するなど、考え方を変えることでこの課題(=もともと確率的で、失敗するのが当たり前、という課題)を解決するしかない」とWeast氏は述べる。
そこに、Weast氏が言うところの“バンパーボウリング”が登場するわけだ。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.