つまり私は、MATSimというものを「都市交通を全体最適に向けて収束させるシステム」だと思っていました。しかし、これ、完全に勘違いでした。私は、iterationとscoringとreplanningを本格的に追いかけ始めて、かなり衝撃を受けました。
MATSimは、全体最適などやっていません。本当に、全くやっていない。
MATSimがやっているのは、「各エージェントが、自分勝手に、自分だけの都合で行動を変え続ける」――本当にただ、それだけなのです。
例えば、あるエージェントが、今日、渋滞で会社に遅刻したとします。
すると、そのエージェントは、
と考える。
もちろん、そんな“高度な思考”を本当にしているわけではありません。実際には、スコアの良かったプランを残しているだけです。しかし、結果としてやっていることは、そういうことです。で、翌日、たまたま少し早く到着できた。すると、その行動パターンを保持する。
しかし、他のエージェントも全員、同じことを考えます。すると、昨日まで空いていた7:45出発が、翌日には激混みになる。すると今度は、
などを始める。しかし、また他人も同じことを始める。
つまりMATSimの中では、数千から数万のエージェントが、―― 「昨日より少しマシな通勤」を求めて、毎日バラバラに行動を変え続けているのです。これ、全体として見れば、かなり非合理的です。
私は最初、「そうやって繰り返していけば、都市交通がだんだん全体最適へ近づいていくのだろう」と思っていました。ところが、そうではなく、むしろ逆なのです。場合によっては、全体として状況が悪化することがある。
例えば、
などは普通に起こり得ます。
つまり、
となります。
これは、交通工学でいうBraessのパラドックス―― 「個々が合理的に動くと、全体は逆に悪化することがある」に近い現象です(ゲーム理論でいう「共有地の悲劇」に近い)。
道を増やしたのに、全体が悪化する。各自は合理的に動いているのに、社会全体は不合理になる。MATSimは、これをかなり正直に再現する(みたいです)。
ここで私は、ようやく気が付きました。MATSimは「都市を最適化するシステム」ではない。
むしろ、「利己的な住民を大量投入した時に、都市交通がどう変化するかを見るシステム」に近いのです。
ですので、MATSimの再計画(replanning)では、個々のエージェントの適応行動によって、振動的・不安定な挙動が現れる場合があります。これも、私はかなり衝撃でした。
だって、考えてみてください。
という振動が、永遠に続く可能性があります。
つまり、
が、普通にあり得る。これ、オペアンプのフィードバック回路なら、かなり危険な状態です。
私は最初、MATSimを「巨大な負帰還制御系」だと思っていました。
つまり、
そんなシステムだと思っていたのです。
しかし、違いました。
MATSimには、そもそも「都市として、どうなれば正しいのか」という目標値そのものが存在しません。
あるのは、
だけです。
つまりMATSimは、制御工学というより、むしろ、
に近い。
私は、ここに至って、ようやくMATSimの“気持ち悪さ”と“凄さ”が同じ意味なのだ、と分かってきました。
では、MATSimのreplanningは、何をゴールにしているのか。それは「誰も大きく改善できなくなった状態」です。つまり、「最適解」ではなく、「諦めポイント」です。「これ以上頑張っても、そんなに得しないから、まあ、この辺でいいか」という状態を導きます。
MATSimの収束とは、数学的な最適化というより、「全員が、大体諦めた状態」なのです。私は、この構造を理解した時、本当に驚きました。
システム工学では、
という考え方が、主流です。
しかしMATSimは、全く違う。
誰も全体を理解していない。誰も都市を制御していない。全員が、自分勝手に、少しでもラクをしようとして動いている。
―― にもかかわらず、都市っぽいものが、何となく形成されていく。
私は、この「統治者不在なのに秩序が現れる」という構造にかなり驚き、これこそがMATSim最大の特徴であり、そして“超目玉機能”なのではないかと考え始めています。
人間は、誰かに命令されて、素直に言うことを聞くような存在ではない ―― これ、実に、私好みの再計画(replanning)です。調整(tuning)ではないところがいい。「クラス全員で頑張ろう」というような予定調和ではなく「世間のことなんぞ知ったことか」と自己中に振る舞うエージェントは、実に人間くさいのです。
これを一言で表現するのであれば、
―― 新型コロナ感染の渦中の緊急事態宣言下、政府の外出自粛要請を、国民全員がガン無視する
に近いイメージです。
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