このような要因で発生した音質の劣化は、大画面化や高画質化を進めて向上させたせっかくの映像品質を損ねかねない。「映像と音は切り離せない関係にある」(岩宮氏)からだ。同氏によれば、映像と音は相互に密接に関係しており、人の知覚として「共鳴」や「協合」といった興味深い現象を生む。明るい印象の音楽には、共鳴現象によって映像の印象を明るく感じさせる効果がある。また、制作者が適切に組み合わせた音と映像は、互いの評価をそれぞれ高めて、音と映像を印象的にする。これが協合現象である。
このような現象は、「映像と音の品質のバランスが崩れると起こりにくくなる」(同氏)。同氏が実施した実験では、「画面サイズが大きくなるにつれて、これとバランスの取れた音量や低音成分といった『音の迫力感』を視聴者は期待する」という結果を得た。高い映像品質を最大限引き出すには、それに応じた音質を確保しなければならないというわけである(今後の薄型テレビの音作りの方向性については、別掲記事「薄型テレビが目指す音」を参照)。
機器メーカー各社は、内蔵スピーカの弱点を補おうと、複数の大型スピーカを組み込んだテレビ・ラックなどを製品化している。しかし、このような装置を購入するのは、消費者全体のうちごくわずかである。「今まで使ってきたテレビ・ラックを新しく置き換える消費者はわずかだろう」(川勝氏)と指摘するテレビ開発者は少なくない。米Analog Devices社が2008年9月に発表したオーディオ処理用DSPの発表資料では、「ほとんどのHD対応テレビでは、テレビ内蔵のオーディオ・システム(スピーカ)を使用するしかない状況だ」と指摘している。
スピーカの薄型化と配置の変化が引き起した音質への悪影響は、スピーカそのものの工夫で改善するのが理想である。現在、厚みが10cmを大きく下回るテレビは、ハイエンドの一部の機種に限られる。これらの機種では、スピーカの材料や構造を改良することで対処している。例えば、シャープや三菱電機は、スピーカの駆動にNd(ネオジム)を使った磁石を採用した。スピーカの高級品に利用されているものである。磁束密度が高いために高い駆動力が得られるという利点はあるものの、Ndは希少金属であるために材料コストが高い。
今後、普及機でも薄型化がさらに進展した場合、材料コストや開発コストの観点からこのような解決策を全面的に採用するのは難しいだろう。スピーカに入力するオーディオ信号にデジタル処理を施すのが現実的な解だ。2009年8月に東京都内で開催された音響関連のカンファレンス兼展示会「AES Japan 2009」に出展したあるスピーカ・メーカーの開発者は、「スピーカ側で薄型化しつつ音質を維持することも方法の1つである。しかし、コストの観点や物理的な制約から限度がある。オーディオ信号のデジタル処理に頼るのが現実的なのではないか」と語った。
現在の液晶テレビやプラズマ・テレビに加えて、一段と薄型化した有機ELテレビが普及した場合、スピーカの問題はさらに深刻になる。テレビの厚みが1cmを切る段階に入るともはや、現在の一般的なスピーカは組み込むことすら難しい。このような超薄型テレビのスピーカ技術の候補に挙げられるのが、「平面スピーカ」である。金属やプラスチックのパネルを何らかのアクチュエータ(駆動源)で振動させて音を空間に放射させるものだ。現在、将来の超薄型テレビに向けて、複数のスピーカ・メーカーが平面スピーカの開発を進めている。
例えば、そのうちの1社であるJ&Kカーエレクトロニクスでは、大型プロジェクタのスクリーンとして用いる大型パネルをスピーカとして使う試作機を2007年に開発し(図A)、現在は有機EL照明パネルや有機ELテレビに向けた取り組みを進めている。「有機ELテレビが普及する段階でスピーカの実現手法に困らないように、今のうちから技術を開発しておく必要があると考えている」(同社の生産・調達本部生産技術部デバイスグループの坂本良雄氏)。
ディスプレイ・パネルそのものを駆動させる方式は、液晶テレビやプラズマ・テレビではいくつかの理由があり採用難しい。これに対して有機ELテレビは、全固体でしかも薄いため、パネルそのものを駆動させる方式の実現可能性が一気に高まるという。
音を放射させる仕組みは、パネルを振動させやすいパネル中央部を、ボイス・コイルを使った駆動源で駆動するというものである。高周波数の駆動を担当する圧電素子も複数組み合わせて使う。ただこれだけでは、パネルの固有振動周波数や、その定数倍に相当する周波数では、共振現象のために振動が大きくなってしまう。そこで、共振現象による周波数特性の変化をなるべく抑えるために、DSPを使ったデジタル信号処理を活用した。
薄型テレビのオーディオ再生機能は、今後どのように発展していくのか……。現在のところその道筋ははっきりとは見えていない。ただ、再生する映像コンテンツやテレビの設置場所といったその時々の状況に適した音声/音楽を、視聴者に意識させずに再生することが、開発の方向性の1つである。
最近製品化されたテレビの多くには、映像コンテンツのタイプごとに適した音響処理モードに自動で切り替える機能や、音量を自動的に調整する機能が搭載されている。さらに一部の機種には、テレビの設置場所に応じて音質を最適化する「視聴環境設定」と呼ぶ、先駆的な機能が搭載されている。テレビの周囲の状況で、音の聞こえ方はそれぞれ異なる。それをテレビが補正してしまおうという考え方である。「この視聴環境設定を使えば、洋室や和室、寝室といった部屋の種類や、壁寄せや部屋の角、壁掛けといった設置の仕方それぞれに最適な音質が得られる」(シャープ)とする。
映像コンテンツやテレビの設置場所に対する最適化からさらに一歩進めて、視聴者の年齢に適した音声/音楽を再生しようという取り組みも進められている。現在製品化されているほとんどの機種では高齢者に向けた特段の対策は用意されていない。「声ゆっくり機能」(三菱電機)といった高齢者向け機能を備えるのは、ごくわずかな機種に限られる。−−
しかし、日本放送協会(NHK)の放送技術研究所によると「高齢者からは、テレビの背景音がうるさくて人のせりふが聞き取れないといった指摘や、アナウンサーの発話が早口で聞き取りにくいといった指摘を受けることが多い」という。
これは、高齢化につれて生じる聴覚の特性変化が原因である。具体的には、高齢になるにつれて聞き取れる音圧の最小レベルが上昇し、これまで聞こえていた会話が聞き取りにくくなる。かといって、大きい音圧も聞き取りにくくなるかというとそうではなく、音圧があるしきい値を超えると大きい音はそのまま大きく聞こえてしまう。これに加えて、音声とそれ以外の雑音成分を聞き分ける力も低下していく。
同研究所では、高齢者にも違和感の低い音楽や音声を出力することが今後ますます重要になると考えており、高齢者向けの映像コンテンツの作成に向けた研究を進めている。1990年代前半から早口の音声をテレビ受信機の側で聞き取りやすくする話速変換技術の研究を進めてきた。最近では、高齢者の聞き取り能力を統計的に調査した。また、この調査結果を基に高齢者の音声の聞こえ方を模擬する評価装置の開発を進めている。「理想は、それぞれの人に適した音声/音楽を提供できること」(同研究所の主任研究員を務める都木徹氏)。
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