圧巻は、2012年6月27日の記事(実はこの原稿を書いている日)。バックナンバーやWebで探して読んでみてください。はるかに年下の私が言うのもなんだが、米沢先生は若い頃からグローバルレベルで他人に物事を正確に、しかも楽しく伝える訓練をしてきたのではなかろうか。また、あえて計算しなくても持って生まれた(あるいは数々の修羅場で培った)ポジティブかつユーモアの精神が、自然と会話や文章に反映されるのではないかと推察される。「楽しく伝える」ということは「正確に伝える」ことの大きな手助けになる。相手を身構えさせないし、質問もしやすい雰囲気になる。
「仕事でも趣味でも集中して打ち込んできた」という意味ではスポーツ選手も同様であるが、彼らの談話の多くはなぜあんなにつまらないんだろうか。テレビや新聞をはじめマスコミの前では「公人」という立場から、所属する組織から制約が掛けられているであろうことは想像に難くないが、もう少し言い方があるだろうと強く感じる。
私は特にスポーツ観戦が趣味というわけではないが、これまで触れてきたスポーツ選手のインタビューや書籍で感心したのは、広岡達郎、野村克也、豊田泰光、江夏豊、前田日明、松井章圭(敬称略)といった方々。彼らは本も多く読んできたであろうし、独自の視線と言語で自分の仕事について考え抜いてきた方々だと感じる。清原和博も独特の言語を持っているが、前述の諸氏とは違う、何というか体育会ヤンキー系をルーツとし、そのままボキャブラリーが止まってしまったような面白さである。
昨今、日本の技術の海外流出が大きな問題になっている。特に、韓国や中国企業の「えげつない」ともされるヘッドハンティングは、日本企業にとって大きな脅威でもある。私としても日本の技術が流出することで、相対的に日本製品のポジションが低下するのは好ましいとは思わないし、自分が育てた部下が成長し他部門、さらには他企業に移っていくことを単純に喜べるような大きな器を持った人間だとは自覚していない。
ただ、どうなのであろう。マネジメントサイドは他企業に移っていくエンジニアに、彼らが納得するステージや報酬、あるいはモチベーションを与えていたのだろうか。組織である以上、自分がやりたいことだけをやっていればよいというものでもないし、報酬は上を望めばキリがない。企業サイドにも言い分は幾らでもあるだろう。
日本の社会は、20年ほど前に比べれば人材流動性は高まったが、東南アジアの介護士の受け入れ問題に象徴されるように、まだ閉鎖的なムラ社会的な日本企業のあり方は存続し、今まさに求められている真のグローバル化の妨げになっているように思われる。海外からすると日本には、「見えない障壁」がまだまだ横たわっているのであろう。
私はエンジニアこそ、そうした見えない障壁を越えられる人種であると考えている。あるレベルの英語力を身に付けていれば、「技術」という世界共通言語を有するからだ。だからと言って「エンジニアよ、世界に飛び出せ!」と声を大にして言いたいわけではない。「日本のエレクトロニクスを立て直す!」との気概で日本にとどまるも良し、「世界の市場をひっくり返す!」と中国に行くのも良し、海外に出て日本に戻ってきても受け入れ先がないのなら、どこかの国で起業するのも良し、一芸を持つ者はどこでも戦えるのである。
私のような文系出身の市場リサーチ会社の人間がアドバイスするのもいかがなものかとは思うが、若きエンジニアたちには以下のことを心掛けてもらえばなぁと思う。それぞれについて、詳細は解説しないこととする。己の内部で咀嚼(そしゃく)していただきたい、ということを付け加えて、「エンジニアのための市場調査入門(番外編)」を終了させていただく。
田村一雄(たむら かずお)
矢野経済研究所において、2012年1月に新たに発足した事業企画推進部を統括。1989年に矢野経済研究所に入社。新素材の用途開発の市場調査に広く携わる。その後、汎用樹脂からエンジニアリングプラスチック、それらの中間材料・加工製品(コンパウンド、容器包装材料、高機能フィルムなど)さらにはエレクトロニクス分野の川上から川下領域におよび、知的クラスターへのコンサルティング実績も有する。
2009年1月〜2012年7月まで、同社CMEO事業部の事業部長。2012年1月より事業企画推進部統括を兼任した後、2012年7月からは産業横断的な新商品の開発強化を目的に事業企画推進部の専任統括として活動している。
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