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序章――「MAS」のオールで博士課程の荒波を乗り超えるリタイア直前エンジニアの社会人大学漂流記(1-1)(1/4 ページ)

こんにちは、江端智一です。3年間の“お休み”を経て戻ってまいりました。さて、私がリタイア(定年退職)間際のこの3年間、何をしていたかというと……。思い出すだけで吐きそうになる「地獄の日々」を送っていました。本連載で、赤裸々に語り尽くそうと思います。

» 2025年12月11日 11時00分 公開
[江端智一EE Times Japan]

真夜中のキャンパスで繰り返したデバッグ

 2020年2月上旬の横浜国立大学の深夜。真夜中のキャンパスは、底の見えない冷気に包まれていました。私は、土木棟の脇に停めた日産セレナの運転席に1人座り、システムの修正作業を続けていました。

 フロントガラスの外は静まり返り、キャンパスの灯は既に落ちていました。クルマのフロントに両面テープで貼りつけたiPadの画面には大学構内の地図が表示され、その上でセレナの現在位置を示す小さなアイコンだけが、頼りなく点滅を繰り返していました。

 助手席には各メーカーのスマートフォンが5台、無造作に積み上げられ、車内のタブレット3台は「停車中」の文字を淡く灯したまま、沈黙していました。ハンドルと自分の体の間に押し込んだノートPC。不自然な姿勢のまま、デバッグと再起動を繰り返しても、オンデマンド予約システムは動き出す気配を見せません。

 試験運用開始まで、残り3日――。何度もコードを見直し、ログを追っても、原因は霧のようにつかめませんでした。

 覚えているのは――「寒かった」こと。

 もちろん、セレナのエンジンはかけっぱなしでした。暖房を止めれば体が凍えますし、2台の大型充電器に電力を供給し続ける必要もありました。しかし、冷えていたのは体ではありません。時間に追われ、出口の見えない恐怖に包まれた心そのものでした。

 このシステムは、翌週にはキャンパス内の実証実験に使われるものです。関係者は十数名(と、対象ユーザーは大学の学生、教員、その他の全員)。その期待と責任が、今この車の中に集約されていました。もし動かなければ、計画は破綻しますし、延期は許されません。

 夜明けが近づくたび、時間が削れていく音が聞こえるようでした。コードの一行一行に、判断の重みがのしかかっていきます。そして、私はただ一人のエンジニアであり、このプロジェクトの責任者でもありました。

 私には、どこにも逃げ場がありませんでした。漆黒の暗闇のキャンパスの海の中、セレナの運転席で、私は動かないシステムと、刻一刻と迫る開始時刻、その両方と向き合い続けていました。

「怒りMaaS」から始まったプロジェクト

 このプロジェクトは、私が考案した運行管理システム――通称「怒りMaaS(*)」から始まりました。

(*)MaaS( Mobility as a Service)とは、鉄道・バス・タクシーなど複数の交通手段を一体化し、アプリやデジタルサービスで最適な移動を提供する仕組みのこと

 その名の通り、「怒りMaaS」という言葉を最初に口にしたのは私です。しかし、社外発表の段階でその名は「ゆずりMaaS」へと差し替えられました。当然、私に拒否権はありませんでしたし、拒否する意志もありませんでした。ただ、あのとき私は、その名前に込めた意味が時代の現実を先取りしていると確信していました。

 オンデマンド交通の運行管理には、さまざまな手法があります。けれども私は、少子高齢化が進み、人手不足が常態化するこれからの社会では、「顧客満足度」などという建前の言葉で交通を維持することはもはや不可能だと考えていました。

 利用者も運転者も、そして自治体も、限界の中で動かざるを得ない。そのとき運行を突き動かすのは、「怒り」や「不満」、あるいは「諦め」や「断念」といった、むき出しの感情になる――私はそう考えていました。

 この現実を直視したうえで、私は「怒りMaaS」という新しいコンセプトを打ち出しました。

 それは挑発ではなく、これから訪れる社会構造への冷静な警鐘でした。怒りや不満を“負債”として扱い、その負債を関係者全員で公平に分担する――そんな調停システムです。

 実際、私はこの発想をもとに “Dissatisfaction(不満)” を主題とした論文をいくつか国際学会に投稿し、採択・発表しています――本当の話です(興味のある方は調べてみてください)。

 「本音ダダ漏れ」のシステムコンセプトに基づき、日本のさまざまな街をモデルとした複数パターンのシミュレーションを作り、各地でデモを行いました。結果はどこに行っても――ものすごく「ウケ」ました。

 『もうキレイごと言っている場合じゃない』という私の本音に、多くの人が共感していたのだと思います。

 ただ「面白い」とは言われるのですが、『それではPoC(*)をやりましょう』とか『事業検討を始めましょう』という話には発展しませんでした。理由は ―― システム化が恐しく難しかったからです。

(*)PoC(Proof of Concept)とは、新しいアイデアや技術の実現性を検証するために行う小規模な試作・実証実験のこと

 そもそも人間のさまざまな感情の中でも、特に「怒り」は、数値で定量化するのが難しいです。

  1. 怒りは一過性で急激に変化し、時間的に安定した指標を得にくい。
  2. 個人差が大きく、同じ刺激でも強度や表現が大きく異なる。
  3. 恐怖・不安・悲しみなど他の感情と混在しやすく、識別が困難。
  4. 社会的・文化的背景により、怒りの表出や抑制の傾向が大きく異なる。

 ちょっと考えただけでも、これだけ挙げられます(ちなみに、感情そのものを数値化する研究は ―― 信じられないかもしれませんが ――私がこの3年間で調べた範囲で、山のように見つけています)

 これらの研究で、私が「怒り」の定量化に使ったのは――私自身でした。とはいえ、『私の感情が世間の標準である』などという気はサラサラありません。ただ、大きくは外れていないと思っています。

 以前流行した「行動経済学」の内容と、私の行動がほぼ一致していたからです。『ぶっちゃけ、人間の心なんて、そんなに複雑なもんじゃねーよ』と、私は考えています(まあ、ケースによりますが)

 個人と社会の感情であれば、比較的単純な定量化でよいと思っています。一方、個人と個人の感情(愛情、嫉妬、憎悪など)は、計測が難しい ――この点については、この連載の中で改めてお話しできると思います。

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