夏がくるたびに繰り返される電力需要の議論。果たして、日本の電力は足りているのか、いないのか。まずは日本全国で使われている電力をイメージするために、われわれがいったい「何人のメイド」を働かせているのかを計算してみよう。
今年も夏が来ます。
暑く、しんどく、寝苦く、そんな中でもネクタイにスーツを着なければならないこともある(サラリーマンはツラいのです)、そういう夏です。本当に ―― 夏なんて死ねばいいのに。そして、電力の需要量で、毎年、「電力が足りる/足りない」の議論が繰り返される夏です。
この連載が始まる前から、私は「電力が足りているのか、足りていないのかは、自分で確かめる」と決めていました。
本連載、「世界を『数字』で回してみよう」の最初は、「日本の電力、足りているの? 足りていないの?」をテーマに、前後半2回に分けて検討してみたいと思います。
あらかじめ申し上げておきますが、私は、今回のコラムで、原発再稼働の是非や、再生可能エネルギーの可能性について論じるつもりはありません。我が国の将来のエネルギー施策についてもスコープ外とします。
また、このコラムでは、仕事をする/させる単位時間(1秒)当たりの電気の力を「電力」、電力に時間を乗算したものを「電力量」と呼ぶことにします。
最初に、「電力が足りない」とはどういうことをいうのか考えてみたいと思います。
ひと言で言えば、「使う電力の量が、作る電力の量を上回る」ということです。ただ、これが普通の「足りない」の考え方とは、随分違うのです。
「水」を例にとって比べてみましょう。異常な少雨や枯渇などによってダムの貯水量が減少したという「足りない」であれば、取水制限、断水という措置によって「足りない分は使わない」という対応が可能です。
電力も水も私たちの生活にとって、非常に貴重な資源であることは間違いないのですが、かなり性格が違います。細かいことにこだわらないのであれば、以下のように言えます。
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