さらに、“「足りない」ことが、「足りない」だけでは済まされない”という点において決定的に異なるのです。
取水制限で、水が使えなくなったとしても、いきなり全部の水が止まる訳ではありません。「90%しか使えないなら、90%は使える」わけです。
ところが、発電所が作っている総電力を、ほんの少しでも超えると、何が起こるか。
全ての電力の供給が、いきなり止まるのです。「少しだけ使えなくなる」という話にならないところに、この電力というエネルギーの「面倒くささ」と「怖さ」があります。
電力を把握するとき「流れている」と理解するよりは「押し出されている」というイメージを持つと分かりやすいと思います。つまり、電力は、電圧という強い力で押し出されて、太く長い送電線を経て、何度も分岐を繰り返しながら、私たちの家庭に「押し出されて」いるわけです。家庭のコンセントからは、100Vという圧力で、電力が噴水のように吹き出ようとしている状態にあります。
さて、ここで、発電所が作っている総電力を超えて、電力が使用されるとどうなるか。噴水の穴が壊れて、水がだだ漏れになったようなものです。こうなると当然、噴水の水は高く吹き出すことができなくなります。
電力にも同じことがいえます。発電量を超える電力が使われると、発電所から押し出される電圧が弱くなります(低下します)。つまり、電力を私たちのところに届けるだけの力が失われることになります(厳密にいうと、品質を維持できない電力は、その送電途中の装置が強制的に送電を止め、それが別の装置を止め、停止の連鎖を生み出します)。
結果として、何が起こるか。大停電 ―― ブラックアウトです。
電灯が消える、クーラーが使えなくなる、という程度のことであれば、我慢して回復を待ってもよいでしょう。しかし、鉄道が止まり、エレベータが止まり、人が閉じ込められる。信号機が止まり、自動車が動かなくなる。携帯電話の基地局が止まり、連絡手段が途絶える。こうなれば話は別です。金融システムが止まれば、経済も止まります。そして医療システムが止まれば ―― 人が死にます。
電力は社会システムの血液です。
「電力がたくさん必要かどうか」という議論以前に、電力とは「1秒たりとも止まらずに流れ続けていなければならない」という宿命を負わされた、とてつもなく「面倒くさく」「怖い」、そして、本当に気の毒な運命にあるエネルギーなのです。
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