さて、再び前回のコラムの話に戻りますが、前回、私は「鉄道を使った飛び込み自殺は、お手軽である」という仮説を立てました。その理由の1つに、「自殺の発意から実施までが、数秒程度で足る」ことを挙げています。
しかし、私は、「鉄道を使って自殺を試みている人のかなり多くの人が、『自殺を試みている』という意識すらもないのではないか」と疑っています。
その根拠の1つが「私自身」です。
これは、私が本シリーズの第1回で記載している通り、私には自殺の意思が全くなかったのにもかかわらず、ホームからレールに落下しようと体が勝手に動いていたという、恐怖体験によるものです。
そして、実際に自殺未遂、または自殺から生還できた人の声をまとめてみると、実際のところ、「その自殺を試みたその瞬間、何も考えていなかった」という人が、結構な数いたのです。
それは、“事を起こした後”に語っている様子からも見て取れます。例えば、「クスリを飲んでから病院に駆けこんだ」とか、「屋上からの落下中に冷静になって後悔した」とか、「手首を切ってから救急車を呼んだ」といった具合なのです。
共通のキーワードは「頭が真っ白になって」です。これは衝動自殺の典型パターンのようです。多くの人にとっても、程度の大小や深刻度の差はあれ、似たような思いをしたことあると思います。『恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい。死にたい。いなくなっちゃいたい』*)というやつです。
*)「終物語(上)」西尾維新(講談社BOX)
そしてこれもご存じだと思いますが、この強い自殺衝動の継続時間は極めて短いのです。多分10秒以上、連続して維持し続けることは難しいと思います。
もし、「鉄道を使った飛び込み自殺」の多くが衝動自殺に起因するものであるなら、ホームドアの設置は、著しい効果があるはずです。
ホームドアとは、ホームからの転落や列車との接触事故防止などを目的とし、電車が停止し、乗客の乗降時のみに、その一部が開閉する「壁」です。
この「壁」を乗り越えるのは、相当難しいはずです。なぜなら、私、横浜市営地下鉄のホームドアの前に立って、毎日、「壁」を乗り越えるシミュレーションを頭の中でやっているのですが、「身長170cmの私が、この150cmの壁を乗り越えるのは無理」と断言できるからです。
力溢れる若者か、日々体を鍛えているアスリートなら可能かもしれませんが、酔っぱらいに、このホームドアを乗り越えることは無理でしょう。
自殺思念に取りつかれた人が、必ずしも無気力で体力がない、とは断定できませんが、仮にホームドア超えようとしている奴がいれば、(その場に誰かがいれば)比較的簡単に引きずり下ろせます(で、その後、袋だたきにする)。
私の考える「ホームドアの有効性」のロジックは以下の通りです。
という流れで、私は「ホームドアは、絶対的に効果がある」と確信しています。
「ホームドアでも無駄だ」と主張する人は、東洋経済オンラインに掲載されたこちらの記事「鉄道自殺防ぐ「ホームドア設置」は効果絶大だ」を読んでください。
私はこの記事によって、「鉄道の飛び込み自殺の多くが、秒単位の衝動自殺である」という私の仮説に自信を持つことができました。
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