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我々が求めるAIとは、碁を打ち、猫の写真を探すものではないOver the AI ――AIの向こう側に(2)(3/9 ページ)

» 2016年08月29日 11時30分 公開
[江端智一EE Times Japan]

「将を射んと欲すれば「将」を射よ」

 第1次ブームでも、第2次ブームでも、「ナンシー」は登場しませんでした。その時期に、AI研究に従事していた多くの研究員や技術者は、「ナンシー」を作ることなど、到底不可能であることを知っていたハズです ―― だって、そんなこと、使えるコンピュータリソースの量と、簡単なプロトタイプのプログラムを作れば、すぐに分かることですから。

 しかし、多くの人は“人工知能”について詳しくはありません(分野が違えば、人工知能研究員どうしであっても、ほとんど内容は理解できないくらいです)。そして、その”多くの人”の中には、国家予算を握る政治家や、研究開発費を決められる会社の幹部がいます。

 彼らは、私たち研究員や技術者の話を全く聞かずに、「金を積めば、『ナンシー』が生まれる」と錯覚し、私たちが頼みもしないAIの開発予算を勝手に付けてきます。

 予算が組まれれば、私たちは、プロジェクトを作るために研究員や技術者を集め、むちゃな目的(コンピュータブレイン、「ナンシー」の実現)に向かって走り出さなければなりません。

 加えて、研究員や技術者の中にも、「チェスや将棋や囲碁で人間に勝てるなら」、そして「猫の顔を自動的に学習できるようになったのなら」 ―― 「ナンシー」までは、もう数歩だと考える奴も出てくるわけです(私は違いますが)。実際に、第1ブームの時も、第2ブームの時も、こういう奴はいました。

 でも、それではダメなのです。

 日本には、『将を射んと欲すればまず馬を射よ』ということわざがありますが、「ナンシー」を射るためには、「将棋」や「碁」や「猫」を、どんなに射たってダメなんです。

 正しくは、『将を射んと欲すれば「将」を射よ』です。「ナンシー」を作りたければ、「ナンシー」そのものを作らなければならないのです。

 そうこうしているうちに、政治家や会社幹部は「いつまでたっても『ナンシー』が生まれてこないじゃないか」と一方的に怒り出し、そして、ある日、突然、研究開発費を凍結してしまいます。

 そこに残るのは、荒涼とした荒野にぼうぜんと立ち竦む、研究員、技術者です。

 私たち(の中でも特にシニアの)研究員や技術者が、「人工知能(AI)」という研究開発を病的に恐れるのは、このような、魔法少女たちのような「希望で始まり(or 始めされられ)、絶望で終わる(or 終わらされる)」を、現実の世界で実体験してきたからです*)

*)「魔法少女まどか マギカ」 新房昭之監督 シャフト 毎日放送

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