社内の各職場では、相変わらず不穏なムードが、まん延している。
希望退職者数は、全社員2000人のうち4分の1に相当する500人。見慣れた顔の何人が数カ月後にはいなくなるのだ。それが自分自身なのかもしれないと思っている社員も少なくないだろう。早々に転職活動を開始した社員は、有休消化にいそしみ、連日の定時退社はむしろ大歓迎のようだ。会社、経営陣に対する不満も相変わらず減る様子はない。ひそひそ話ではなく、社内の至る所で堂々と話している社員も多く、いや応なしに須藤の耳にも飛び込んでくる。その須藤に対しても、部下の大森が「須藤さんは会社に残るか、辞めるか」という話をしてきて、つい先日も怒鳴ったばかりだ。
果たしてこの社員のうち、何名が湘エレを立て直そうと腰を上げるか? 誰も手を挙げないのではないのか。500人の早期退職者の枠には応募が殺到して、残る者は“ぶら下がり社員だらけ”になるのではないか……。
そうなったら、よい製品など作れっこないし、立て直しどころじゃない。こいつら社員の根性からたたき直さないといけないのでは……。そして、忘れてはならないのは、CG社のエバで発覚した問題を、今、誰が原因を解明しているのかということだ。うやむやにしようとしているのではないか、と、須藤自身も疑念が払拭できないまま、先に出したメールの水曜日の定時が迫ってきた。
同期の知財の荒木は家の事情で帰らなければならないらしく、欠席と返信が届いていた。企画部の佐伯課長と、営業部の同期である末田、そして、日ごろより何とか会社を変えたいと思っている人事課長の三井の3人は、東京本社から藤沢の工場まで来るために、1時間ほど遅れるとのことだ。あとは皆、そろっている。
須藤:「定時退社にもかかわらず、お集まりいただきありがとうございます」
浜田:「いやぁ、それはいいけど、定時退社が敢行されている中でよく会議室の予約などできたなぁ」
浜田明(46)は、元技術部開発課の出身で、須藤の先輩にあたる。今は生産技術部の課長だ。生産技術の仕事にはさほど関心が高くなく、須藤と話すたびに、技術部に戻りたいとこぼしている。
須藤:「中村さん(技術部長)からOKをもらったものの、これでも、無理を言って会議室を管理している総務を説得したんですよ」
大森:「須藤さん、あんまり時間ないんだから、単刀直入に行きましょうよ!」
須藤:「そうだな。メールに書いたように、今日ここにいる皆さんは、“会社を何とかしたいと思う仲間”だと思っています。そこで、われわれに何ができるのかを今日はざっくばらんに話したいんです」
佐竹:「そりゃあ、もちろん自分だって何とかなるのなら何とかしたいけど、会社を変えるなんて、社員ができるわけないでしょう」
佐竹進(33)は、主にメカ設計をしている設計課の主任だ。企画課の佐伯課長と同じく、湘エレでは数少ない中途入社の設計エンジニアだ。自己主張が強く、よく機構設計のやり方で須藤とはぶつかるが、声に出しては言わないがお互いのことは認め合っている。
及川:「それを承知で須藤さんは声をかけたでしょうから、みんなで考えてみましょうよ」
及川雄一(25)は、入社3年目だが非常に優秀な組み込みソフトウェアエンジニアだ。今どきの自分大好き人間で、須藤と似た思考を持っている。周囲とトラブルを起こすことも少なくないところまで須藤と似ているようだ。
木下:「僕は研究所所属なので、今回の経営刷新計画の発端となった原因の詳細までは分からない。けれども、僕は希望退職には手を挙げるつもりはない。そもそも、この会社は会社の仕組みそのものがまだ不完全だと考えているので、今回の件は起こるべくして起こったようにすら思える。だから、この原因や根っこは会社の膿としてきちんと出すいい機会だと思っている」
木下勝(36)は、日ごろから若手研究者のモチベーションの低さを気に掛けている。研究所長の長井真也(47)も同じだが、基礎研究の大事さが軽視されるかのごとく、技術部からは「ちゃんと実用化できるもの研究テーマにしてもらいたい」と常に言われている。同時に研究者の社内評価の仕組みにも不満を持っており、そもそも、研究員の成果が学会や専門誌への論文寄稿や特許出願などでしかないため、現状の仕組みが実態にそぐわないと須藤にこぼしていた。
楢崎:「僕ら製造部は目も当てられないですよ。製造ラインは止まったままだし、若い連中も多いので、荒れ放題ですよ。毎日、会社と経営者の悪口ばかりで、耳をふさぎたくなる」
楢崎亘(31)は、製造部の主任だ。映画が趣味でよく須藤とは話をする間柄だ。工業高校出身の地元採用だが、製造技術については詳しい。イケメンで、パートのオバちゃんたちに人気がある。
一同:「そうだよなぁ。うちの部門も似たようなもんだ」
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