翌日には、佐伯が動いてくれたと見えて、佐伯と“株式会社東京コンサルティング”の杉谷とのメールに、CCで須藤が加えられていた。ことは早いほど良いと考え、須藤は杉谷とのアポを定時後に入れた。場所は湘エレの東京本社からさほど遠くない。
普段は思ったことをズバズバ言う須藤だが、さすがに初対面のコンサルティング会社の人に会うので、緊張していた。ところが、迎え入れた杉谷雅明(46)は気さくな感じで「話は佐伯さんから全て聞いている」という様子で、少し緊張の糸は解けた。
名刺を見ると、どうやら、東京コンサルティングの代表者のようだ。他に社員は見当たらないようで、もう帰ったのかなと思っていたところ、杉谷は、「須藤さんは今、35歳でしたっけ? 一番、元気があっていい時期ですね」と切り出した。須藤の返事を待たず、杉谷は続ける。「会社を変えるためには、決して勢いだけではうまくいかない。現場のボトムアップ的な活動は、しょせん活動どまりで活動の推進者がいなくなったら終わりだ。誰かが会社という組織を引っ張っていくと、多くの社員は素直に引っ張られていく。なぜなら、『長い物には巻かれよ』のように、組織の中で生きるにはこのほうが楽だからだ。今、須藤さんがやろうとしていることは、経営改革に限りなく近いものだ。すなわち、勢いだけで“変える人材”をそろえたところで討ち死にするのは目に見えている。『慎重でいながら大胆に』、進めることが大事だ。つまり、“緻密な戦略と先を見越したシナリオ”をどう組み立てるかが成否の分かれ道だ」
“コンサルティング会社の人は「相手の話をよく聞く」”と聞いていたが、杉谷はそうではなさそうだ。あらかじめ、佐伯から予備知識をインプットされていたのかは分からないが、須藤自身がもやっとしていたことや、気づいていなかったことを、一気に言ってのけた。
勢いだけで何とかなると思っていたけど、“緻密な戦略とシナリオ”とはどう考えればよいのだろうか?
次回をお楽しみに。
⇒「“異端児エンジニア”が仕掛けた社内改革、執念の180日」バックナンバー
世古雅人(せこ まさひと)
工学部電子通信工学科を卒業後、1987年に電子計測器メーカーに入社、光通信用電子計測器のハードウェア設計開発に従事する。1988年より2年間、通商産業省(現 経済産業省)管轄の研究機関にて光デバイスの基礎研究に携わり、延べ13年を開発設計と研究開発の現場で過ごす。その後、組織・業務コンサルティング会社や上場企業の経営企画業務や、開発・技術部門の“現場上がり”の経験や知識を生かしたコンサルティング業務に従事。
2009年5月に株式会社カレンコンサルティングを設立。現場の自主性を重視した「プロセス共有型」のコンサルティングスタイルを提唱。2012年からEE Times Japanにて『いまどきエンジニアの育て方』『”AI”はどこへ行った?』『勝ち抜くための組織づくりと製品アーキテクチャ』などのコラムを連載。書籍に、『上流モデリングによる業務改善手法入門(技術評論社)』、コラム記事をまとめた『いまどきエンジニアの育て方(C&R研究所)』がある。
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