以下は、米国がこの大統領選挙の仕組みに固執している理由*)、**)と、私の所感を、ざっくり表にしたものです。
*)「大統領の作り方」(堀田佳男 プレスプラン 2004年)
**)「大統領はカネで買えるか?―5000億円米大統領選ビジネスの全貌」(堀田佳男 角川SSC新書 2008年)
今回、私は、大統領選挙の仕組みが、民主主義の基本原則「多数決の原理」を働かせているかどうかを調べたかっただけなのですが、いろいろと掘り下げてみると、今や大統領選挙は、現在の社会状況を反映しない形骸化したシステムに成り下がっています。
“効率性や合理主義の権化”ともいえるあの米国において、この選挙の仕組みが、最高意思決定者を決める方式として採用され続けていることに、ある種の「気持ち悪さ」を感じずにはいられません。
今回のシミュレーションで、米国の大統領選挙は、その仕組みにおいて「ギャンブル性」が組み込まれていることが分かりました。
また、選挙の期間が1年と無駄に長く(正確には、米国には選挙期間が法定されていない*))、さらには、選挙で1票を投じる以外の方法で立候補者を支援することが認められている ―― 普通のサラリーマンが政治献金(3000円くらいからスタート)をすることが、大っぴらに認められている ―― など、どうも日本の常識とは、かけはなれた世界にある、ということを知りました。
*)日本の場合、長くて17日(参議院選挙、知事選挙)、短いものでは5日(町村議会選挙、町村長選挙)しか許されていません。
それに、今回調べてみて、米国国民が求めているリーダー像というのが、我が国とはかなり違うということも分かってきました。
そこには、「キレイごとだけで、メシが食えるか」という、究極のプラグマティズム*)に基づく、「スッピンの民主主義」というべきものが、よく現われていると思います。
*)「知識が真理かどうか」とか「正義は何か」とかはどーでも良くて、「生活上の実践に利益があるかないかだけで物事を決定すべき」とする哲学
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