今回は、Mycogen(マイコジェン)というバイオ農薬を手掛けたベンチャーを紹介したい。ITやエレクトロニクスの話からは少しそれてしまうが、教訓的な要素を含む、なかなかに興味深い話なので、ぜひここで取り上げておきたい。
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Mycogenは、1982年に米国カリフォルニア州サンディエゴに設立されたバイオベンチャーで、生物農薬(バイオ農薬)の開発を手掛けていた。
バイオ農薬というのは、「有害生物の防除に利用される、拮抗微生物、植物病原微生物、昆虫病原微生物、昆虫寄生性線虫、寄生虫あるいは捕食性昆虫などの生物的防除資材」(日本植物防疫協会『農薬用語辞典』2009)で、ひらたく言うなら、自然界にもともと存在する毒物を、有害生物の防除に利用するということである。化学農薬に比べて環境に優しく、有害生物に耐性がつかないという点がメリットになる。Mycogenが開発していたのは、「BTトキシン*)」と呼ばれるバクテリアで、害虫に対して毒物となるタンパク質を生成する。
*)BTトキシン:バチルス・チューリンゲンシス(Bacillus thuringiensis)トキシン
設立から数年がたったころ、Mycogenは、パートナーとなってくれる日本企業を探していた。Mycogenから協力を依頼された筆者は、当時、同社のCTO(最高技術責任者)であったLeo Kim博士とともに、Mycogenと提携してくれる企業を求めて、何十社もの日本企業を訪ね歩いた。
1980年代後半の日本は、全体に好景気であった。特にエレクトロニクス業界は大きく成長していた。一方で、鉄鋼や化学といった業界は斜陽産業といわれていた。
多くの技術産業では、「技術のSカーブ」という性質がみられる。ある技術が立ち上がると、それは時間をかけて当初は緩やかに、そしてその後急激に発展する時期がくる。それを過ぎると成長と発展は再び緩やかになり、限界効用に近づき場合によっては終息へ向かう。エレクトロニクス技術で考えるなら、真空管からトランジスタへの発展は、まさに「技術のSカーブ」といえるだろう。
鉄鋼業界や化学業界は、多くの技術分野で、このSカーブの「再び緩やかになる地点」にあったのである。既存事業だけでは十分な利益を出せず、新たな領域に事業を展開するなど、いわゆる“事業の多角化”を迫られる時期に差し掛かっていた。そのため、特に1980年代の後半は、多くの日本メーカーが米国のベンチャー企業と提携したり、M&Aを行ったりした。
そうした状況にもかかわらず、Mycogenの提携先探しは難航した。化学農薬を扱っていた、ある大手化学メーカーを訪ねたが、「うちは化学農薬ひと筋でやってきた。これまで、それでもうかってきたし、新しい農薬(つまりバイオ農薬)を検討する必要はない」の一点張りだった。このメーカーは、「NIH(Not Invented Here)シンドローム」、つまり、「自分たちで開発したもの以外は受け入れない」という自前主義を持った典型的な例だったといえるだろう。その強い自前主義は、結局最後まで崩さなかった。
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