さて、日本企業を30社ほど訪ねたあと、ようやくMycogenとの提携に興味を示してくれた企業が現れた。それが、大阪に本社を置くクボタ(当時は久保田鉄工)だった。皆さんもご存じの、農業機械や建設機械を手掛ける大手メーカーである。
クボタは、農薬を一切扱っていなかった。ただ、トラクターなどの農業機械を扱っていたことから、JA全農を通じて、農家へのルートを持っていた。つまり、農薬を販売するチャンネルを持っていたことになる。事業の多角化を図ろうとしていたクボタにとって、Mycogenのバイオ農薬は、それを実現するチャンスをもたらしたのである。クボタの企業体質が「NIHシンドローム」ではなかったことも幸いし、クボタとMycogenは、Mycogenのバイオ農薬を殺虫剤として売り出すことで提携した。資本参加や技術ライセンス、日本市場での販売権などを含め提携額は1000万米ドルだった。
このあとMycogenは、JT(日本たばこ産業)とも資本参加を含め1000万米ドルで提携することになった。
この2件の大型提携によって資金を得たMycogenは、今度は遺伝子工学を生かして、「害虫に強い植物」へと育つ種子の開発も始めた。
そして1998年、Mycogenは、世界最大規模の総合化学品メーカーである米国Dow Chemical(ダウ・ケミカル)の子会社Dow AgroScienceに買収された。買収金額は12億米ドル(約1200億円)。このうち技術資産に相当する金額は8億米ドル(約800億円)だった。つまり、買収額の非常に大きい部分が「技術資産」であると評価されたのである。
バイオテクノロジーのスタートアップとして生まれたMycogenは、創設から12年後、ほとんど無名の状態から12億米ドルもの企業価値がつくメーカーへと発展したのである。
クボタの事例から分かる通り、「事業の多角化」というのは必ずしも同じ製品分野での多角化とは限らない。むしろ異分野にこそ、可能性が広がっている。もともと持っていた販売チャネルや製造設備など、企業として既に持っている強み(保有基盤)を生かして、相乗効果を生み出すのである。
そういった意味でクボタは、Mycogenと提携したことで見事に事業の多角化を図ることができた。
最近の例でいえば、フィルムメーカーである富士フイルムは今や、化粧品メーカーとしてもブランド力を上げている。同社が培ってきた、フィルム関連の化学技術などをスキンケア技術にうまく応用したのだ。これも異分野への多角化のよい事例だろう。
先述した自前主義の大手化学メーカーも、「NIH」から離れ、もっとオープンになる意志があれば、Mycogenとの提携が大きな成長への糧となったに違いない。
⇒「イノベーションは日本を救うのか 〜シリコンバレー最前線に見るヒント〜」連載バックナンバー一覧
石井正純(いしい まさずみ)
ハイテク分野での新規事業育成を目標とした、コンサルティング会社AZCA, Inc.(米国カリフォルニア州メンローパーク)社長。
米国ベンチャー企業の日本市場参入、日本企業の米国市場参入および米国ハイテクベンチャーとの戦略的提携による新規事業開拓など、東西両国の事業展開の掛け橋として活躍。
AZCA, Inc.を主宰する一方、ベンチャーキャピタリストとしても活動。現在はAZCA Venture PartnersのManaging Directorとして医療機器・ヘルスケア分野に特化したベンチャー投資を行っている。2005年より静岡大学大学院客員教授、2012年より早稲田大学大学院ビジネススクール客員教授。2006年よりXerox PARCのSenior Executive Advisorを兼任。北加日本商工会議所、Japan Society of Northern Californiaの理事。文部科学省大学発新産業創出拠点プロジェクト(START)推進委員会などのメンバーであり、NEDOの研究開発型ベンチャー支援事業(STS)にも認定VCなどとして参画している。
新聞、雑誌での論文発表および日米各種会議、大学などでの講演多数。共著に「マッキンゼー成熟期の差別化戦略」「Venture Capital Best Practices」「感性を活かす」など。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.