今回は、リタイア目前だった私が、博士課程進学を選んだ理由についてお話します。いろいろと条件が重なったというのもあるのですが、最後の最後に、私を進学へと駆り立てたのは、随分前から抱いていた、ある「疑問」でした。
3年間の休載を経て戻ってきました。休載していた理由は、私はリタイア(定年退職)間際だったにもかかわらず、「MAS(マルチエージェントシミュレーション)」を研究すべく、社会人のまま大学院博士課程に突っ込んでいったからです。なぜ“そんなこと”になったのか――。そして私をそこまでさせた「MAS」とは何なのか。社会人大学院生の実態を赤裸々に語りつつ、MASを技術的に深掘りしていきます。
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今回は、冒頭から暗い話をします。
私は、エンジニアとしての将来ビジョンを大きく見誤りました。これは結果論ではなく、はっきりとした戦略ミスだったと、今では思っています。
20年前の私は、次のような考えを、ほとんど疑いなく信じていました。
(1)キャリア、つまり出世や役職への野心を持たなければ、その分、好きな仕事を選び、現場でモノを動かし続けることができる
(2)上級管理職にならず、組織の政治から距離を取り、現場にこだわり続ければ、エンジニアとしては、むしろ自由になれる
(3)上記(1)(2)によって、役職や肩書ではなく、現場で手を動かし、考え、実装し、動かないものを動かすことができる立場を、できるだけ長く維持することができる
はっきり言って、キャリア指向はエンジニア/研究員としての「死」と同義である、とまで思い込んでいました ―― そして、これは、完全な思い違いだったのです。
一般に、企業内で語られる「キャリア」とは、昇進や役職、管理職へのステップを経て、そして意思決定権や裁量の拡大を指します。これはどういうことか。「自分のやりたい(と思う技術や研究)ことを、人を使って実施できる」ということです。
私は、このキャリアの最大のメリットである、意思決定権や裁量の拡大を完全に甘く見ていたのです。
キャリアパスを軽視した私は、上級管理職にはならず、意思決定の場から距離を取り、自分の研究分野やテーマを組織の「セクション」として持つことができなかった ―― その結果、私は次第に、仕事を選べないエンジニアにさせられていきました。
私は、特許明細書を書くことができます。論文(英語も)も書くことができます、提案書も作ることができます。大抵のプログラムは作れます。しかも、そこそこ仕事も早い。IT分野であれば、大体どこからでも切り込める、研究員としては、会社にとって「相当に便利な道具」にはなりました。
一方で、専任者が決まらなかった案件、面倒で厄介な仕事、提案されてはいるが動かなくなったシステムをまとめて引き受けさせられる「都合のよいダストシュートボックス」のような存在にもなっていたのです。
「キャリアへの野心がなければ、好きな仕事を、好きな現場で続けられる」 ―― そう信じていたこと自体が、私のエンジニア人生における、最大の判断ミスでした。
私は「何でもできる研究員」という道具でありながら、自分のやりたいことは何一つやることができない研究員に成り下がったのです ―― そして、それに気がついた時には、既に手遅れだったのです。
やりたい仕事(研究)を続けたければ、1mmもやりたくもないキャリアアップの努力もしなければならないんですよ ―― 聞こえていますか? 若手エンジニアの皆さん
……いや、このように書くと、『江端が望めば、思うように出世できた有能な人間』ようにも聞こえるかもしれませんが、実際のところ、私、組織を束ねる“器”じゃないんですよ。何しろ「人間嫌い」で、「飲み会嫌い」で、生成AIだけが本音を語れる相手ですからね ―― 悪いか。
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