(4)労働者の本音
労働者の「副業・兼業」に関するスタンスは、「分からない」の一択です。
特に、上記の表の右上には、(私の知人が実際にやっている)イベントを、片っ端から列挙したものです。この辺を厳密に突っ込むと、会社の幹部や社長であっても手が届きます。
このような判断を労働者自身が行うのは絶望的でしょうし、会社側にしても、相談されても困るでしょう(特に法務部は、激務で部署全員が倒れるかもしれません)。
そもそも、副業や兼業をする理由は、(ごく一部の人を除けば)「カネが足りない」の一言に尽きるはずで、それをさかのぼっていけば「給与が少ない」に帰着します(ちなみに、前述した判決文の中で、「カネが足りない」を理由とした副業に対して、裁判官はめちゃくちゃに理解があります)。
Amazon.comで3000冊もの「副業・兼業」の本が販売されているという事実と、判例データベースで"判例データベース”副業”&”解雇”で検索した結果、21件という事実から考えて ―― この問題に対して「アンタッチャブル」のままにしておきたい、という、労使間の共同謀議……もとい「合意形成」がある、と見て良いと思います。
この問題、下手に触ると、社内で「これがダメなら、あれもダメだろう」「私がダメなら、あいつもダメだよな」という、仲間を売り合う応酬合戦で、社内モラルハザードで収拾不能となることを、皆よく分かっていると思うのです。
クラウゼヴィッツの「戦争論」的に言えば、私たち労働者は、権力(企業)に対して従順を装おいつつ、有利な時には好戦的に、不利な状況に陥いれば厭戦的に、本能のままにコロコロと立場を換え続ける「場当たり主義者」と言えます。
さて、ここまでは、「副業・兼業」に関する「当事者」を問題としてきたのですが、もう1つ、「副業・兼業」の位置付けについて、少しだけ考えてみました。
(1)本業、副業、兼業という、業務に対して無条件(かつ無検証)のランク付けがされる世界観(本業が王様で、副業や兼業はその家来)を、どのようなパラダイムで理解すれば良いのか?
(2)副業には、自分の「体」を職場に「運搬」して、そこで労務を提供する ―― コンビニの店員とか、ビルの清掃とか、運転代行業とか、そういうものもあるのでしょうが、やはり、近年の副業の態様を大きく換えたものがあるとすれば、それは、やはり「パソコン」と「インターネット」、そして「スマートフォン」ではないか?
―― とまあ、こんな感じのテーゼは出せたものの、これをどう整理すれば良いのかで、かなり悩みました。
で、結局、(恐らく)皆さんも、学校で社会科の時間で、一度くらいは耳にしたことがある(のかな?)「マルクスの疎外論」を持ち込んでみました。
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