リカレント教育とは何か ―― それは、職種の消滅によって、これまで就労中の現場教育(OJT(On the Job Training))で培われてきた技術や経験の価値が一瞬で破壊される「キャリア放棄」に対する具体的な対抗策であるべきであって、加えて一定の汎用性もあるべきです。
リカレント教育は、「知的エリート」を「スーパー知的エリート」にする教育ではなく、むしろ、江戸時代末期の寺子屋と同様に、「現代版寺子屋」と位置付けるべきと考えています。
私は、読み書きの対象に”英語”が加わり、ソロバンの代わりに”パソコン”を使う「現代版、読み書きそろばん」こそが、リカレント教育の本質だと思うのです。
これから年間100万人の勢いで人口が減っていく我が国では、モノやサービスに金を払ってくれる人間そのものが消えます。とすれば、どう考えても、私たちの「海外への出稼ぎ」は、確定した未来です。
江戸時代の町人が村や藩を超えて農作物を運んだように、現代の私たちは、国内を超えて、製品やサービスを海外に運んでいく必要になる ―― というか、そうでもしないと、今の生活水準を維持していくのが難しい時代になる ――
これが、現代版寺子屋が、”英語”と”パソコン”を汎用教育の柱とすべきである、と私が考える理由です。
「英語」については、「『英語に愛されないエンジニア』のための新行動論」をご覧頂くとして、「いまさら、パソコンの話?」と思われている方も多いかと思います。
ですが、パソコンを“使いこなせている人”は、かなり少ないのです。問題は、「パソコンを使いこなす」という、その「内容」の方にあります。
パソコン所有者のうち、メールが使える(つまり、パソコンに文字入力ができる)人は、パソコン所有者の約半分です。それ以外の人は、パソコンを持っているだけか、あるいは、Webでニュースとか動画とか電子本(アダルト画像などを含む)を見る程度の使用だろう、と推測されます。
しかし「業務でパソコンが使いこなせる」というレベルを想定すると、報告書や提案書を作成できるレベルになければなりません。(プログラミングまでは必要はないとしても)このレベルに達成できる人は、パソコン所有者のわずか4分の1まで下がります。
そこで、パソコンでの業務には、最低限「エクセル」までは必要であると仮定して、パソコンを業務で使っている比率を算出してみたところ、業務でパソコンを使えるレベルにある日本人は、全体の30〜35%にすぎないという試算結果となりました。
そして、英語に関しては、以前、労働人口に対して4%しか使っていないという試算結果を出しています(関連記事:「エンジニアが英語を放棄できない「重大で深刻な事情」)。
このように、我が国の「現代版、読み書きそろばん」である"英語"と"IT"における「識字率」は、恐ろしく低いのです ―― まず、「リカレント教育」うんぬんの前に、私たちは、この事実を認めなければなりません。
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