こんにちは、江端智一です。
今回は前回に引き続き、政府が主導する「働き方改革」の項目の一つである、「教育」に関して、お話していきたいと思います。
前回は、学校教育の第一の目的が「個性の破壊」にあり、私たちの社会は「画一化されたスペック」の労働人材を求めていることと、そして、「個性」という考え方が、組織においてのみ有用であり、個人とっては有害ですらある、という説明をしました。
また「リカレント教育」とは、『"皆で一緒に幸せに"などと甘ったれたこと言ってんじゃねーよ』『どん詰まりから抜けたければ、一人で闘え』と、冷たく突き放す「独りぼっちの戦争」であると決めつけた上で、現在の「リカレント教育」というものが、一部の知的なエリートのみをターゲットとしている、という事実を実例で示しました
今回は、(1)私の考える「リカレント教育」の問題点を明らかにした上で、本来あるべきリカレント教育の姿を提案します。さらに、(2)学校教育とリカレント教育の把握の仕方を、ITエンジニアの視点からの説明を試み、最後に、(3)「軽視/蔑視しても良い勉学がある」のテーゼに対する私の見解を申し上げたいと思います。
では、まず前回の復習をかねて、リカレント教育の概要を以下に示します。
そして、ある大学で行われているリカレント教育のカリキュラム(以下)を見て、その内容とボリュームに圧倒されました。
そして、私は、
―― これが、本当に、あるべきリカレント教育のユースケースなのか?
―― このカリキュラムを最後まで続けられる人は、そもそも「エリート」ではないか?
という疑問を投げかけて、前半を終了しました。今回は、ここから続けます。
さて、私が違和感を覚えるのは、このカリキュラムを受講できる人の資質です。
最初に思ったのは、このリカレント教育プロセスが、どのような分野の職種をターゲットとしているかがはっきりしないということです。「少なくとも、エンジニアを育成するカリキュラムではない」ということは分かりましたが、そもそも、「汎用的なリカレント教育って、そもそも存在するのかな?」という疑問が湧きました。
次に感じたのは、これだけ広範囲の教科を、1年程度の期間で履修するには、本人のやる気だけでは到底及ばないはず、ということです。このカリキュラムでは、全ての教科について、一定以上の専門知識がないと太刀打ちできないはずです。
そもそも、この大学では、リカレント教育を受講するために「入試」があるくらいです。
私が覚えた違和感の正体は、『リカレント教育って、そもそも高い能力のある人を、さらに高みに押し上げる教育のことだっけ?』という疑問でした。
このような能力を既に持っている人なら、別段このようなカリキュラムの教育を受けなくても、平均水準以上の人生を、普通に生きていけるんじゃないかな、と思いました。
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