こんにちは、江端智一です。
前回のコラムでは、お金に愛されないエンジニアである私が、「お金がなくても、そこそこ幸せになれる方法はないか」という観点から、「幸せ(主観的幸福感:Subjective Well-Being)」についての学術的研究の動向について記載させて頂きました。
でもって、前回は、引用した学術論文から、外出(屋外活動)が、本人の幸福を増やしているという事実を示しました。
今回は、「幸せ」の最大の障害となりうる、「孤独」「孤立」そして「社会的疎外感」について、前回に引き続き研究論文のレビューという形で、お話していきたいと思います。
さて、この連載は、「「お金に愛されないエンジニア」のための新行動論」です。「お金に愛されるようになるには、どうしたらよいだろうか?」という動機からスタートしたのですが、最近は「幸福」だの「疎外感」だのと方向に迷走していますが、これには理由があります。
―― どうも、老後問題は、”お金”だけでケリがつくような問題ではなさそうだ
という直感が生じているからです。
もちろん、お金は、トップクラスの最重要要素の一つですし、現実世界においても、お金さえあれば、力づくで解決できることはたくさんあります。しかし、老後問題を調べれば調べるほど、もっと重要な要件があるようなのです。
今回、テーマとするのは「孤独」です。
最近、「孤独は、1日たばこ15本分の害悪」というフレーズをよく耳にします。今回私は、この一次情報を探り当て、その内容をざっくりとまとめてみました。
この一次情報は、ここ(原文)にありました(江端のざっくり翻訳はこちらに掲載しています)。
この論文、世界中から引用されていることもあり、実に良くできています。論証の弱い点や、根拠の薄い部分を自ら積極的に開示し、それでも、”孤立”や、”孤独”が、間違いなく人の寿命を短くしていることを、膨大なデータから明らかにしています。
一般的に、「長寿=幸福」という価値観は、世界中で受け入れられています。個人的観点から見れば、「寿命が長くなれば、やれることが多くなる」と言えますし、行政的観点から見れば「長寿=QoL(Quality of Life)の充実した国」であるとして、他の国の行政府に対してマウントが取れるというメリットもあると思います。
しかし、近年、『無条件な長寿が幸せか?』という疑問が、ウェルビーイングの観点から問われ始めてています。例えば、以下の健康寿命問題は、その一例です。
ここで、『ベッドの上で生き続けること』の幸福/不幸の決定件は、本人にしかありません。
「ベッドの上の幸せ」は、自分がベッドの上にいることになった時、初めて決定されるものであり、ベッドの外側から、赤の他人が『幸せでない』と決めつけることはできないのです。自分の「幸福/不幸」を、他人が『合目的的』に決めつけることを、主観的幸福(Subjective Well-Being)は、明確に否定します。
しかし、"孤独"が寿命を短くしているという点は、主観的であれ客観的であれ「不幸」である、と決めつけることができます。なぜなら、"孤独"が本人を苦しめ続けるものであり、そのような”孤独”の中で死んでいくことに、”幸せ”と呼べる要素は1mmも見あたらないからです。
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