さて、ここからは、「Mobility, social exclusion and well-being: Exploring the links(モビリティ、社会的疎外、幸福。その関連性を探る)」のレビューを行いながら、前回は言及していなかった「社会的疎外」という要素を含んだ論文をレビューしていきたいと思います。
前回の論文レビューでもご紹介した通り、”移動”と”ウェルビーイング”に(正の)関連があることは、既に人文科学やモビリティ研究などの分野では常識です。
これは、移動に伴うアクティビティー(教育、医療、就労、買い物、スポーツ、レジャー、文化活動)が、ウェルビーイングを向上させるからです。
各国政府は当然、ここに目をつけています。
どの政府も、国民のウェルビーイングを上げることに関心があります。
国民の幸せを向上させることは当然として、経済活動の活性化、高齢者の医療費問題、さらには、労働力不足解消、少子化対策など、さまざまな問題に、良い循環を与えることになるからです。
既に皆さんもお気付きかと思いますが、近年、政府が「家に閉じ込もるな!外に出ろ!」とやかましく宣伝しているのは、それが国民のウェルビーイングに貢献することが、分かっているからです。
『用もないのに、外出できるか!』と反論したくなりそうですが、毎日の外出だけで『寝たきりリスク』が減りますし、外出(に伴う運動)は、それだけで気分を前向きにさせるという効果があります。まずは、ここが第1段階です。
しかし、単に外出するだけでは足りないのです。その「外出」を、何かを行う気にさせるモチベーションに転換させなればならないのです。それが、第2段階の「外発的動機づけ」から「内発的動機づけ」への転換です。
外発的動機づけ、とは、まあ一言で言えば「業務命令」です。比して、内発的動機づけとは、内なる自分の中から発せられる命令(興味)です。
退職したシニアは、この「業務命令」が、突然、一気に消滅します。そして「何をしたら良いのか分からない状態」に陥ります。なぜなら、人生において、自分自身で、内発的動機づけの対象(趣味、友人、個人研究など)となるものを見つけてこなかったからです。
これは、日々膨大な仕事を課し、自分の時間が十分に持てなかった(あるいは、そのように言い訳をする)人を大量に発生させている、我が国の労働形態にも原因があります。
加えて、内発的動機づけだけがあっても、それだけでは幸せに至ることができません。それを説明するのが、以下の「自己決定理論」です。
自分自身で(業務命令ではなく)自分で行動する(自律性)を持つだけでは足りず、そこに、それを見守る複数の関係者がいて(関係性)、さらに、それらの関係者に、自分のやっていることが有用である(有能性)、ということを、自分が納得することによって、「内部的動機づけ」に基づく「自己決定」は完成するのです。
つまり、単に「たくさんのマンガを読む」「日本中のラーメン屋を回る」という行動では足りないということです。それについてのレビューやコメントを世間に発表して、さらに『いいね』をもらうことや、『すごいね』と言われることで、自己決定が完成する、ということです。
会社の仕事であれば、ノルマを果たせば、上司から褒められたり、給料が上がったりして、その報酬を得られることがありますが、自己決定論では、その評価を自分が行わなければならない点において、もう一段”困難”であるとも言えるのです。
さて、この論文の著者は、この自己決定論を拡張して心理的幸福のモデル化を提唱しています。
このモデルでは、前述の3つに加えて、自己成長、生きがい、自己承認の3つが加わっています。
これをまとめると、幸せとは、
(A)自分で決めたことをやっていて(自律性)、
(B)それが社会とのつながりを経て(関係性)、
(C)ちゃんと社会に評価されており(有能性)、
(D)自分を成長させつつ(自己成長)、
(E)自分の生きがいを言語化できて、そして
(F)『今のままの自分で良い』と言い切れる(自己承認)』
ということですが ―― そんなヤツいるか?
まあ、上記の項目でフルスコアを取る必要はありませんし、普段からこのような意識をもって行動すると、幸せになれそうだなぁ、という気はします。
ここで、著者は、既往研究が「社会的疎外」「孤独」「孤立」について十分な検討をしていない、と指摘しています。
そこで、それらを加えてちゃんと調べなおそう、と提言しています。
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