今回は、「なぜ、カルトの信者はあんなに幸せそうなのか」という疑問に端を発して、「お金がなくてもそこそこ幸せになれるのか」を宗教と幸福感から真剣に解析してみました。
今回のテーマは、すばり「お金」です。定年が射程に入ってきた私が、あらためて気づいたのは、「お金がない」という現実でした。2019年には「老後2000万円問題」が物議をかもし、基礎年金問題への根本的な解決も見いだせない中、もはや最後に頼れるのは「自分」しかいません。正直、“英語に愛され”なくても生きていくことはできますが、“お金に愛されない”ことは命に関わります。本シリーズでは、“英語に愛されないエンジニア”が、本気でお金と向き合い、“お金に愛されるエンジニア”を目指します。⇒連載バックナンバー
―― 世界統一家庭連合(旧称統一教会)の信者が『幸せ』に見える
という話を嫁さんにしたら、『そんなの、当たり前でしょ』と軽くいなされました。「幸せでなければ、今の状況で教団に所属し続けられる訳がない」と、しごく当たり前な意見ももらいました。
旧称統一教会に限らず、いわゆる、カルトといわれている宗教やテロリストにおいては、自力で、その幸せ(という名前の、マインドコントロール)から離れることが絶望的に難しいことはよく知られています。
正直、自力で脱会したケースは「絶無」といっても過言ではありません。これは、教団が外界との接触と徹底的に妨害し、教団以外の人間を全て悪(例:サタン)と信じ込ませているからです。
私の見たところ、信者の奪還に成功したケースは(1)家族の年齢が若く、(2)家族に知性と忍耐と愛があり、(3)説得する時間的な余裕と、(4)(専門家を雇うことができるなど)経済的に余裕のある家族、だけのようです。
ところが、このようなカルトにハマっていく人間は、大抵、上記(1)〜(4)と真逆の環境にある家庭の人間が多いです ―― というか、家庭や社会に希望がなければ、そりゃ、行きつく先は「宗教」くらいしかない、とも思います。
―― と、ここまでは、結構、誰もが語っている話です。
ところが、カルト宗教の信者の視点から見える世界を、ちゃんと説明している人はいません。そこで、今回、私は、カルトの人の心の内をちゃんと理解して、それを多くの人に納得してもらう方法を考え、一つの方法論を思い付きました。 ―― 名付けて、「コペルニクス的逆展開パラダイム」です。
まず、「今の私たちの世界の常識」を前提とします。具体的には、以下の通りです。
(1)地球は球体であり、太陽を中心として回転する惑星の一つであり、太陽系は銀河系を構成する一つにすぎず、そして、宇宙には銀河系以外の星雲系が数えきれない程存在する
(2)特に地球が球体であることは、(宇宙開発の)ニュースやドキュメンタリー、海外旅行、物理方程式、または、GPSの利用などから、その事実を主張する必要がない
さて、ここで、この上記(1)(2)に対して、ある日、突然、「地球は平面である」ということが世界の常識に変化してしまったとします。それは、地球が平面であることが、(新しい)物理方程式でも成り立ち、自然現象としても確認され、その世界「地球が平面である」という事実として矛盾なく存在してしまう世界です。
すると、次のようなことが起こります。
家族からは、「なんで、地球が球体である、なんて妙なことを言い出すの?」「科学的にも、ちゃんと証明されていることなのだよ」と泣きつかれ、世間からは「あいつ(江端)って、気持ち悪い奴だよな」「関わらないでおこう」と言われて、世間から避けられています。
しかし、その世界には、「地球は球体である」ということを、きちんと説明してくれるサークルがありました。そのサークルは、理性的に自然現象を把握し、その世界の物理法則の運用の間違いを論理的に立証する活動を続けているサークルです。当然、私(江端)は、そのサークルに所属することになります。
そして、そのサークルは世間からカルトと呼ばれていました。
さて、ここで、皆さんに問いましょう ―― 以下のどれが、江端にとっての「幸せ」でしょうか?
(A)地球は球体であると信じ続けて、サークルの中で活動を続ける
(B)世界は平面であると考え直して、自分の考えを修正する
(C)地球は球体であるが、それを黙って、世間に迎合して生きていく
江端にとっての幸せは(A)の一択です。「地球が平面だぁ? バカ言ってんじゃねーぞ!」と叫び、地球が球体であることを、駅前でプレゼンテーション(辻説法)するでしょう。しかし、通勤や通学している人からは、無視され、気持ち悪がられ、石を投げつけられたりするかもしれません。
カルト教の信者も同じこと言うと思います「教祖が間違っているですって? バカ言ってんじゃないわよ!」と叫び、教祖の解く世界の真実を、駅前でプレゼンテーション(辻説法)するでしょう(以下省略)。
さて、ここで、再度「幸せ」について考えてみたいと思います。
幸せとは、
(A)科学的/数学的に示された矛盾のない状態を、客観的に認知することなのか
(B)それとも、主観的/直感的に感じたものを、ロジック無視で主観的に感じるものなのか
(C)あるいは、前記(A)(B)とか関係なく、脳がドーパミンを大量に発生させ、幸せを感じられる状態であるのか、
などと考え出せばキリがありません。
ただ、一言だけ言えそうなことは、退職後の私が、今以上に幸せでい続けるのは、直感的に「無理」ではないか、ということです。
第1に「身体的な老化」です。基本スペックの低下が甚だしいです。視力、聴力、記憶、思考力、また体力もなくなっていくのも感じます。
第2に「気力の低下」です。以前の私であれば、トライアンドエラーを何度でも繰り返してうまくいくまで続ける、などということを平気でやったものですが、最近の私は、「最短距離でゴールに到着したい」と思うようになりました。
そして、今後予想される問題は、「交友関係の断絶」です。私は、今でも友達はいませんので、このまま退職すれば、義務的な人間関係は全滅します。このような利害関係の消滅は、人間関係をも簡単に悪化させるだろう(特に私の場合は)と予想できます。
加えて、困ったことに、私は、「人間があまり好きではない」ようなのです ―― 自分では良く分からないのですが、家族がそう言っているから多分そうなのだと思いますし、自分でも心当たりはあります(筆者のブログ)。
とまあ、このように、私の老後は、あまり見通しが明るくないです。
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