先輩:「つまり『外出しなければ、早死にできる』ということだな。明快かつ有用なコラムだった」
江端:「いや、そうじゃないです。というか、なんで『早逝のハウツー本』になっているんですか」
先輩:「在宅勤務で、最近は、毎日タバコ30本くらい吸っているから、ここに”孤独”の15本分が加わって、毎日タバコ45本分だ」
江端:「さすがは先輩。政府のプロパガンダごときに、1mmもブレませんね」
先輩:「もう両親も死んだし、家族は独身の兄一人が残っているだけだ。私の”孤独死”は確定しているんだ。今さら、”外出”がどうのこうのと言われてもなぁ……」
江端:「”外出”は、手段です。その先にある『社会的なつながり = 社会関係資本』が重要なのですよ」
先輩:「それを”江端”に言われてもなぁ……。おまえ、町内会をボロクソに言いまくってきた当事者だろう?それに、PCとブログとプログラミングがあれば十分*1)で、飲み会や運動会のバカバカしさを徹底的に論じていたよな?*2)」
江端:「まあ、それはさておき」
先輩:「一体、何を考えて、今回のコラムレビューを、よりによって、”この私”に頼んできたのだ? ― まあ、大体予想はできているけどな」
江端:「では、正直に申し上げましょう。私が言いたかったのは”孤独がそんなに悪いか?”です。もっと正確に言えば、”ウェルビーイングの研究や政府や企業政策は、先輩や私のような『ぼっち人間』が、孤独から脱却するのに必要コストを、きちんと計算しているのか?” です」
先輩:「なるほど……外出1回は2000円の資本増加かもしれないが、ぼっち1日分は、3000円の利益になっているかもしれない、ということだな」
江端:「そうです。先輩や私のように、『孤独・孤立がデフォルトの人間』にとって、今さら地域社会において社会関係資本を構築することは、この歳からエベレストの登頂を目指すくらい難しい、という認識が、研究員も政府も、完全に抜けているのですよ」
先輩:「つまり、彼らは、孤独の危険性は語っても、ウェルビーイングを高める方法や、孤独からの脱出方法は、全く示していない、と?」
江端:「その通りです。ただ、私には、腹案がありますけどね」
先輩:「ほう、それは何?」
江端:「『自死決定(自殺)権』と、その自死起動装置を自分でONにできる環境です。これがあれば、人間のウェルビーイングは、めちゃくちゃにアップします。保証します」
先輩:「うむ。自分が、自分のシャットダウンのスイッチを持っていられる、というのは、究極の幸福の一つだな。そのスイッチを持っていられる、というだけで、安心して逆に力強く生きていけそうだ」
江端:「娘から、私の誕生日に『パパが、今、一番欲しいものって何?』と尋ねられた時、『苦痛ゼロの死』と答えて ―― 娘に『どん引き』されたことがあります」
先輩:「さすがに、それは、おまえが悪い ―― 子どもに言うセリフではないぞ」
先輩:「コラムを書いた江端には悪いが、ここであえて暴論を言わせて貰えれば、”孤独”というのは、”退屈”と同義だと思えるのだよな」
江端:「ほう? “苦痛を伴う心理”状態ではなく、単に”ToDoリストに記載がない状態”である、と?」
先輩:「”退屈”は、考える時間を持つことだ。そして、それは『自分が、何かの役に立っているだろうか?』と自問することに使われることが多い。そして、それは、結構な”苦痛”になる」
江端:「ああ、それは分かります。私たちは、普段から『私が突然いなくなっても、社会は1mmも困らない』ことを良く知っていますが、その事実を直視するとへこみますからね」
先輩:「私としては、この(右図)の、心理的幸福のモデル化が、どうにも腑(ふ)に落ちない。そもそも、「幸福」というもの存在も、また、存在意義も疑わしいと思う」
江端:「なんか今、今回のコラムの趣旨を、豪快にひっくり返すような発言ですが……」
先輩:「江端。確認だが、”ウェルビーイング”とは『幸福』という意味でいいのだよな?」
江端:「はい。社会的位置付けや人間関係、または心理的要素を包含した、1人の人間のトータルとしての『幸福』の概念です」
先輩:「では、ウェルビーイングとは、人生の目的なのか?」
江端:「例えば、狂信的な研究員、カルトにはまった信者、ITベンチャー創業者などの人生の目的は、“ウェルビーイング”ではなく、“快楽”とか“狂気”というものでしょう」
先輩:「正直に言えば、上記の『幸福のモデル化』は、はっきりいって『重い』。ぶっちゃけて言えば、『ウザい』『苛立たしい』『煩わしい』『いまいましい』 、そして『胸糞が悪い』」
江端:「それは……やはり『幸福』という言葉が良くないのでしょうか?」
先輩:「私なら、『幸福』とは言わない。そんな単語は使いたくない。受験や学歴や恋愛や結婚や出世や財産に縁がなくとも、それをもって他人にから『幸福』だの『不幸』だの、単純な二値化で語られる謂れはないし、なにより自分自身が、そう感じることができない ―― ともあれ、私が自分の人生を語るのであれば、「ウェルビーイング」は使わない」
江端:「では、何と?」
先輩:「『グッドイナフ(Good Enough:十分良い)』 ―― だ」
江端:「そういえば、最近NHKスペシャルで、ウェルビーイングを取り扱う企業の取り組みなどを扱う特集をやっていますよ」
先輩:「その取り組みのために、労働災害やら過労死などが発生するようなことになったら ―― 『ウェルビーイング労災』*)という愉快な概念が出てくるな ―― 少なくとも、流行語大賞は確定だろう」
*)私が20歳代の時、「時短○○時間実現」の為に奔走していた、組合評議員だったか、総務部だったかの先輩の帰宅時間が、毎日正午過ぎだったことを思い出しました(なんで私が”それ”を知っているかは、さておき)
江端智一(えばた ともいち)
日本の大手総合電機メーカーの主任研究員。1991年に入社。「サンマとサバ」を2種類のセンサーだけで判別するという電子レンジの食品自動判別アルゴリズムの発明を皮切りに、エンジン制御からネットワーク監視、無線ネットワーク、屋内GPS、鉄道システムまで幅広い分野の研究開発に携わる。
意外な視点から繰り出される特許発明には定評が高く、特許権に関して強いこだわりを持つ。特に熾烈(しれつ)を極めた海外特許庁との戦いにおいて、審査官を交代させるまで戦い抜いて特許査定を奪取した話は、今なお伝説として「本人」が語り継いでいる。共同研究のために赴任した米国での2年間の生活では、会話の1割の単語だけを拾って残りの9割を推測し、相手の言っている内容を理解しないで会話を強行するという希少な能力を獲得し、凱旋帰国。
私生活においては、辛辣(しんらつ)な切り口で語られるエッセイをWebサイト「こぼれネット」で発表し続け、カルト的なファンから圧倒的な支持を得ている。また週末には、LANを敷設するために自宅の庭に穴を掘り、侵入検知センサーを設置し、24時間体制のホームセキュリティシステムを構築することを趣味としている。このシステムは現在も拡張を続けており、その完成形態は「本人」も知らない。
本連載の内容は、個人の意見および見解であり、所属する組織を代表したものではありません。
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