今回は、皆さんの英語に対する漠然とした見えない不安や、将来、海外に放り出される可能性を、「目に見える不安」、すなわち「数値(確率)」として、きっちり提示したいと思います。私たちエンジニアの逃げ道が全てふさがれていることは明らかです。腹をくくって「英語に愛されないエンジニア」として、海外で戦う覚悟を決めましょう。
われわれエンジニアは、エンジニアである以上、どのような形であれ、いずれ国外に追い出される……。いかに立ち向かうか?→「『英語に愛されないエンジニア』」のための新行動論」 連載一覧
第1回と第2回に分けて、私の実体験を例に、「英語に愛されない者は何をしても愛されない」という本連載の出発点を説明しました。今こそ私たちは、英語への片思いを断ち切り、私たちの本分である技術に立ち戻るべきです。しかし、残念なことに、私たちには英語を放棄することができない ―― 私たちエンジニアの職業生命に関わる ―― 重大で深刻な事情があります……。
今回は、私の告白から始めたいと思います。私は、ある仕事をお願いするために、2人のエンジニアと面接しました。一人は、私と同年齢くらいのオジさん。印象はちょっと暗くて、元気もなさそうでした。ちょっと覇気がないなあ、と第一印象は良くありませんでした。もう一人は、社会人2〜3年目の元気いっぱい、やる気マンマンの若いニイちゃん。「どんな仕事でもやらせてください!」と、目を輝かせて語るそのストレートな媚(こび)の売り方は、私の心証をバッチリつかみました。
しかし、採用の分かれ目、分水嶺(ぶんすいれい)は意外な所にありました。「英語の仕様書を読んで、通信プログラムを実装できますか」という私の質問に対して、オジさんは、「はあ。まあ、これまでやってきましたので……」と陰気に答え、一方の若いニイちゃんは、「まだ経験はありませんが、必ずやり遂げます!!」と陽気に返答しました。
私はオジさんの採用を決定しました。研究の管理者として、ニイちゃんの「未来の可能性」に賭けることはできなかったのです。「英語の仕様書を読みこなせない」という可能性がわずか0.01%だったとしても、それは到底受け入れられないリスクでした。これは「良い、悪い」以前の問題なのです。通信エンジニアにとって、「英語の仕様書を読めない = 仕事が成立しない」という等式は、一切の妥協なく厳然たる事実なのです。ここに私情が入る余地はありません。
私は、このニイちゃんが「英語に愛されるエンジニア」に変身する貴重なチャンスを潰したことを、ここに告白します。そして、この機会に申し上げておきますと、少なくとも私は「英語に愛されないエンジニア」の人を、
などという気持ちは、微塵(みじん)もありません。エンジニアリングの現場では、そんな悠長なことを言っていられる状況ではないのです。
本連載、「『英語に愛されないエンジニア』のための新行動論」をスタートした後、私宛てにいただいたTwitterのメッセージやメールは、全て読ませていただきました。その数や内容は、まるで日本人の全員が「英語に愛されていない」と感じているかのような錯覚に陥るほど、私に強烈な印象を与えるものでした。そして、待ったなしという状況で英語に困っている方もいれば、見えない将来におびえている方もいる、ということも分かりました。
今回(第3回)の連載の前半は、この皆さんの「漠然とした見えない不安」を、「数値として目に見える不安」として提示したいと思います。「将来、あなたが海外に放り出される可能性」を、確率としてきっちり示そうという試みです。
一刻も早く「英語に愛されないエンジニア」の「方法論・実践論」に入ってほしいという方もいらっしゃるかと思います(実際、そのご意見は多いです)。ですが、私も回数を重ねて原稿料を稼ぐ……という姑息な悪意は全く無く(いや、ないですよ。本当に)、私の英語に対する長く暗いドロドロした恨みつらみの情念を、これだけキチンと体系的に説明させていただける稀有(けう)な機会を、最大限使わせていただきたいのです。「これさえ書き切ったら、あと『50年後』に死んでも悔いはない」という気持ちで、頑張って執筆を続けております。何とぞ、ご理解いただけますようお願いいたします。
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