それでは、今回のコラムの内容をまとめてみたいと思います。
【1】数理解析技術や、"人工知能技術"を取り扱う、ドラマや映画などのコンテンツの大半は、それらの技術やエンジニアたちを、あまりにも安易に描きすぎていると思います。私は、これらのコンテンツが、「人工知能」への幻想を作り出している要因の1つであると考えます。
【2】現在の“人工知能技術”は、コンピュータの利用を前提とするプログラムからできており、そのプログラムの構造は、基本的に、これまでのプログラムと全く同じであることを説明しました。
【3】どんなプログラムであれ、そのロジック(アルゴリズム)のミスを発見するのは難しいことと、特に"人工知能技術"プログラムの場合、「本当に正しく動いているのか」を確認することが、恐しく難しいことを、私の学生時代の不勉強な後輩の実例で示しました。
【4】"人工知能技術"は、その推論結果に対して理由を説明する能力がなく、そのため、実際のシステムにおいて、"人工知能技術"がなかなか採用されていかない現状を説明しました。そして、"人工知能技術"の研究を続けるために、あえて「人工知能」という言葉を使わないことを決意したある研究員のお話をしました。
【5】「ベイジアンネットワーク」の考え方の基本となる、ベイズの定理およびベイズ推定について、パンティと浮気の因果律を使った説明を試みました。
―― もし私が、第2次人工知能ブームの終えん時のパージ(purge)に屈することなく、今も人工知能研究を続けていたら ―― と、今でも、考えないことはありません。
しかし、予算が付かない研究を続けることは、少なくとも企業研究員には無理です。
それでも、そのような困難なパージの嵐をくぐり抜け、研究題目を改ざんし、研究内容を上に報告しないまま、研究を続けて、花を咲かせた人だっています。かつてのNHKの番組「プロジェクトX」は、そういう話ばかりでした*)。
*)ところで、これって、「会社にうその報告をして、虚偽の業務を実施していたという時点で『私文書偽造』『業務命令違反』にならないのかな〜〜」とか、今でも私は思っているのですが。
それはさておき。
少なくとも私は、第2次ブームから、今回のブームに至るまでの、“人工知能技術”の研究の冬の時代に、たった1人の孤独な研究を続けることはできませんでした。
もちろん、週末、GW、お盆や正月の休暇に、個人で研究を続けることだってできたと思いますが、誰からも評価されず、発表もできず、なにより、予算のない研究は「ひもじい」のです。
私は、その「ひもじさ」に耐え切れず、ステーキハウスにある食品サンプルの前で、指をくわえて立ち続け、最終的にそのステーキハウスのドアを開けてしまいました(この場合、食品サンプルとは、国や会社から、予算が付くような研究テーマ(「クラウド」とか「IoT(モノのインターネット)」とか、今なら「人工知能」)のことです。
今回の人工知能ブームは、「ブーム」と名前がついているのですから、かならず収束します。そして、さらに遠い未来 ―― 多分20年くらいのオーダーで ―― 必ず、(何かの技術をきっかけとして)第4次の人工知能ブームが再来します。
こんな「ブーム」に左右されることなく、人工知能の研究を続けたいと願う、特に若い研究員の皆さんは、もうすぐ始まる「ひもじい20年間」をどうやって生き抜くか、今のうちに真剣に考えておいた方が良いと思います。
最近、私は、研究員がやりたい研究を続けるために必要とされる資質というのは、「能力」「才能」「熱意」「カリスマ」というようなものよりは、むしろ、「粗食」で幸せになれるような「自己暗示」ではないかと思うのです。
毎日の納豆ご飯ともやし炒めを「我慢する」 ―― のではなく、毎日の納豆御飯ともやし炒めを、心から「おいしい」と思える、自己暗示の能力こそが、研究員には必要とされているのではないかと思うのです。
正直なところ、研究員は、学会や研究会、講演などの表舞台で目立ってナンボ、というのは事実ですし、また、(残酷なことを言うようですが)多くの場合、「納豆御飯ともやし炒め」の人生の多くは、「納豆御飯ともやし炒め」の人生で終わっています(私は、よく知っています)。
それでも、私は ―― 1年365日、いつどこでも、「納豆御飯ともやし炒め」をおいしいと思える人だけが、次の20年後の人工知能ブームへの架け橋となり、そして、第4次の人工知能ブームを立ち上げる当事者と成り得る ―― と信じているのです。
⇒「Over the AI ――AIの向こう側に」⇒連載バックナンバー
江端智一(えばた ともいち)
日本の大手総合電機メーカーの主任研究員。1991年に入社。「サンマとサバ」を2種類のセンサーだけで判別するという電子レンジの食品自動判別アルゴリズムの発明を皮切りに、エンジン制御からネットワーク監視、無線ネットワーク、屋内GPS、鉄道システムまで幅広い分野の研究開発に携わる。
意外な視点から繰り出される特許発明には定評が高く、特許権に関して強いこだわりを持つ。特に熾烈(しれつ)を極めた海外特許庁との戦いにおいて、審査官を交代させるまで戦い抜いて特許査定を奪取した話は、今なお伝説として「本人」が語り継いでいる。共同研究のために赴任した米国での2年間の生活では、会話の1割の単語だけを拾って残りの9割を推測し、相手の言っている内容を理解しないで会話を強行するという希少な能力を獲得し、凱旋帰国。
私生活においては、辛辣(しんらつ)な切り口で語られるエッセイをWebサイト「こぼれネット」で発表し続け、カルト的なファンから圧倒的な支持を得ている。また週末には、LANを敷設するために自宅の庭に穴を掘り、侵入検知センサーを設置し、24時間体制のホームセキュリティシステムを構築することを趣味としている。このシステムは現在も拡張を続けており、その完成形態は「本人」も知らない。
本連載の内容は、個人の意見および見解であり、所属する組織を代表したものではありません。
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