(4)電車はいつ停車するのか
電車は、1車両で40トン、1構成であれば160〜400トンにもなる、地上を走る最も重い輸送手段の1つです。これだけの質量のある移動体が一度動き出せば、簡単に停止できないことは容易にイメージできるでしょう。
電車の運転手は、前方に別の車両を目視で確認してからブレーキ操作をしていては衝突を防ぐことができません。ですから、「物理シミュレーションで知る「飛び込みコスト」の異常な高さ」でもご説明した通り、ある1つの線路の区間には同時に2つ以上の電車が入れないようにする、「閉そく区間」という安全システムの考え方があります。
また、全ての電車(新幹線と一部の在来線を除く)は、原則として、時速130km以上で走行しません。そこまでスピードを出してしまうと、「急ブレーキをかけて600m以内に停止することが可能な状態」にできないからです(かつて鉄道運転規則に定められていた、いわゆる「600m条項」。現在は廃止されているが、現在も運用は続けられている)。その理由は、運転手が目視できる限界が600mだったからだそうです。
運転手は、「飛び込み」を目視で確認すると、当然急ブレーキをかけます。この急ブレーキは、1秒間当たり時速4〜5kmくらいの減速とされています。これを加速度で計算すると、0.13〜0.14Gくらいになりますが、正直、乗車している乗客にとっては、シャレにならない程の急停車になります。
(正確な説明にはなっていないのですが、イメージとしては)時速4km(早歩き)で歩いている時に、いきなり足元にロープを張られて、そのまま道路に顔から突っ込むくらいの感じです。吊革なしで立っている人なら転倒し、朝の満員電車であれば圧迫骨折の可能性もあるかもしれません。
『乗客の安全を考えれば、この程度のブレーキが限界かなぁ』と思っていたのですが ―― もちろん、その理由もあるとは思うのですが ―― 本当の理由は、急ブレーキをかけると、逆に電車が止まらなくなるということにあったのです。
前述した通り、電車の車輪とレールは、「接着点」という「点」で接着しているため、摩擦係数が極めて小さいのです。従って、強いブレーキをかけると、車輪がロックしたまま電車が進み続けてしまい、結果としてブレーキ時の距離(制動距離)が長くなってしまいます(これは、凍った路面で自動車の運転している時に急ブレーキをかけたことをイメージすれば、直感的に理解できると思います)。
スリップさせないギリギリの急ブレーキで、空走距離等も加えて、実際の制動距離をざっくり計算すると、時速100kmでは、約300m、時速50kmでも80mになります。
電車の1車両の長さが20mくらいなので、もしあなたが、電車のど真ん前の飛び込みに成功すれば、あなたの体は16回から40回ほど切り刻まれることになります(この辺りの話は、次回致します)。
では、今回の「人身事故、物理シミュレーション」を理解する上での予備知識の話は、ここまでとして、ここから先は次回お話することにします。
それでは、今回のコラムの内容をまとめます。
【1】前回より、本連載の最終フェーズとして、「人身事故物理シミュレーション」を開始しています。これは、飛び込み自殺が、自殺志願者にとっても最悪の選択肢である可能性を示すためです。
【2】今回は、「人身事故、物理シミュレーション」を理解するための基本知識として、事前に知っておいていただきたい4つの事項について説明致しました。
【3】まず、「自動車や電車にはねられる」という言い回しがありますが、少なくとも、これを「跳ねられる」という文字を当てるのが妥当ではないことを示しました。なぜなら、人間はボールやゴムのような弾性体ではないからです。しかし、事故直後の現象から、人間が跳ね飛ばされるように見える場合があることを、図解で示しました。
【4】「飛び降り自殺」と「飛び込み自殺」の2つを比較調査した結果、人間の体は、地球上のどの高さから飛び降りても、人体がバラバラになるようなケースにはならない、ということを示し、人間の体は思いの外、頑丈にできていることを示しました。
一方、「飛び込み自殺」の本質は、列車との衝突にあるのではなく、列車の車輪によって轢断され続け、身体をバラバラにされる点にあることを、明らかにしました。
【5】人間の体をバラバラにするために必要な力(圧力)を、身近な事例(生肉、切り餅、日本刀など)から算出しました。そして、仮に「飛び込み自殺」があったとしても、電車は、人間の肉体を轢断しながら、問題なく走行を続けられることを、数値で明らかにしました。
【6】さらに、運転手が、飛び込み自殺を目視で確認しても、電車を簡単に止めることができない理由を、電車の車輪とレールの「粘着限界」という物理現象から説明しました。
以上です。
さて、ここで皆さんにお伺いしたいと思います。
「飛び込み自殺」は、数秒から10秒程度の間で、何十回にも及ぶような超高速の肉体の轢断を引き起こすことになりますが、この自殺によって
―― 確実に即死できる、と思いますか?
今回の、(1)飛び降り自殺の話、(2)切腹の話、(3)介錯の話、そして、(4)電車の車輪による瞬断かつ連続の轢断の話は、全て次回への伏線となっています。
実は、この正月に実家に帰省した際、冒頭の江端家の「ディベートもどき」で、次女にこの話の続きをしたところ、青冷め、すっかりおびえてしまいました。最近は、『仮に将来自殺をすることがあったとしても、飛び込み自殺だけは絶対にしない』と、宣言するに至っております。
それでは、次回「人身事故、物理シミュレーション編最終フェーズ」にて、飛び込み自殺が、社会だけでなく、当事者本人にとっても最低最悪の死となり得ることを、「シミュレーション」と「数字」で示したいと思います。
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