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リカレント教育【前編】 三角関数不要論と個性の壊し方世界を「数字」で回してみよう(59) 働き方改革(18)(4/8 ページ)

» 2019年06月24日 11時30分 公開
[江端智一EE Times Japan]

学校教育とは「個性の破壊」と「人間のスペックの画一化」だった

 このような教育基本法の内容に対して、現代学校教育における「人間の製品内容」を、文句がつけようがないくらいまで、完璧に明らかにしたのが、フランスの哲学者、ミシェル・フーコー(1926-1984)です。

 フーコーは、学校教育の第一の目的は「個性の破壊」と「人間のスペックの画一化」と看破しました。

 そもそも、人間とは「生産性を有する生物」として生まれてくる訳ではありません。そのような生物に作り変える為には教育が必要です。しかも、高い生産性を維持する社会を維持するためには、高い生産性のある人間を、短期間で、かつ大量に製造することが必要となります。

 国家としては、生産性と結び付くかどうかが不明な「個性的な能力」よりも、リーダーの命令や時間に厳守する「無個性で平均的な能力」の人間がはるかに望ましいのです。

 若者たちが、学校を卒業する時に、「民主主義と文化的国家の発展を担い」「世界平和と人類への貢献ができる」人間として完成しているかどうかは不明ですが ―― 「命令者に服従できる」人間としては、おおむねQAテストをパスできる程度には完成している、ということは言えるでしょう。

 なぜ、私がそのように言い切れるか ―― それは、ネットのSNSや掲示板を見ていれば、フーコーの理論が正しく、かつ、それがきちんとした結果を出していることが、一目瞭然だからです。

 前述した通り、フーコーは、学校教育の目的を「個性の破壊」と「人間のスペックの画一化」と規定しています。これによって、異なる意見が出てこない、あるいは、出にくい社会が完成すると言っています。

 実際にSNSや掲示板を見てみると、基本的にはある意見に対する賛意または反論であり、自分自身のオリジナルの意見を表明しているものは、ほとんど見られません。

 さらに、それらの賛意または反論にしても、ロジックが閉じておらず、見るべき説得力のあるものが少なくなく、多くの主張は、一時的で、すぐに忘れられ、しかも匿名性を盾とした無責任なものばかりです。

 『そんなことはない』という人もいるかもしれませんが、私のこれまでのコラムに対して、反論(というか個人攻撃)をしてきた人のほとんどは、そのような人ばかりでした*)

*)私が、公の場での議論を提案すると、例外なく沈黙または逃亡する。

 加えて、私は、フーコーの理論がSNSや掲示板などのIT化によって、その正しさを証明しているだけでなく、ますます強化しているとさえ思います。

 異なる意見が出にくい社会は、「他人の意見を聴く努力がいらないラクチンな世界」であり、「それに逆らうような意見を抹殺する世界」でもあります。現実社会では、"空気"がこのような社会になることを無言で強要し、ネット社会では"炎上"がこうした世界を強固にしています。

 現在、ほとんどの国家においては、政府が教育の方針を握っていますが、今や、国家権力に頼らずとも、私たちは自分自身の手によって、ネット社会で相互を監視し合い、「突出した優れた個性の破壊」を続けています。

 実際、私は、優れた作品(文学、芸術、評論、技術、その他)を創作する人たちが自分の作品をネットで公開しないことにイライラしていました。その理由を尋ねたら、その人たちが口をそろえて言うのです ―― 怖い、と。

 ネットに公開すれば、賛辞も増えるでしょうが、根拠のない誹謗中傷を受けるリスクもあります。しかも、たった一人に対して不特定多数の人が攻撃する“集団リンチ”のような事態へと発展することすらあります。さらに悪いことには、創作をする人というのは、人一倍感受性が強く、必要以上に傷つき、追い詰められてしまう可能性もあるのです。

 このようにして、少数の「突出した優れた個性」は、大量の「無能で才覚のない凡庸」によって、非常に効率良く破壊され続け、「個性の破壊」と「人間のスペックの画一化」がさらに加速されてしまうのです*)

*)参考文献 「NHKテキスト 100分de名著 『オルテガ 大衆の反逆』

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