そして、もう一つ、見守りサービスには、商業的な致命的な欠点があるのです。それは、「見守りサービスを導入する時期」と「見守りサービスを利用する期間」の問題です。
まず、こちらのグラフを見てください。
見守りサービスの潜在的な利用者数に対して、実際に利用しているのは、わずか1〜3%程度に過ぎません。
これは、前述の「親が実際に倒れる」という現実を目の前にするまで、私たちが動き出さないという、「破綻介護」プロセスの明らかな証拠の一つです。
そして、「親が実際に倒れた後」は、施設への入居、または入院となり ―― そして多くの場合は自宅に戻ってこられなくなり ―― 「見守りサービス」が必要となる段階は終わっているのです。
つまり「見守りサービス」は、それが必要と認識された時には、既にそれが不要となっている、という矛盾を包含するサービスなのです。
従って、介護市場規模に対する0.2%の市場規模は、当然の結果であると言えます。
ちなみに、実際に私の作ったDIY見守りシステムも同じ道を歩むことになりました。嫁さんの実家の「介護破綻」後のプロセスの続きは以下の通りです。
(4)帰省中に、浴室で倒れている義母を嫁さんが発見(これが冒頭の話)→緊急入院
↓
(5)嫁さんは、そのまま義母の入院、義父の施設利用延長、各種の手続処理を一人で実施して、帰宅
↓
(6)江端が嫁さんの実家に乗り込んで、見守りシステムを完成
↓
(7)義父、吐血やガンの手術をしながら、病院と施設間の移動を繰り返し、施設にて死去
↓
(8)義母、難病指定を受け、その後一度も家に帰れないまま入院中(退院の見込みは小さい、と言われている)
結局、私の見守りシステムは、一度も、義父母の姿を捉えることはありませんでした。
時々、実家の中を見てくれる叔父の姿が見えるだけのシステムとなり、2018年、嫁さんがインターネットの契約を打ち切りました。
私の作った見守りシステムは、一度もその目的を果たすことなく、役割を終えたのです。
それでは、本シリーズ第2回の内容をまとめます。
【1】今回は、義母が実家で倒れてから、私が、自作の見守りシステムを完成させるまでの、ドタバタをご紹介しました。週末2日間しか許されていない中での特急作業、不具合対応をレンタルサーバ運用会社への泣きつき方、常識外れのシステム提案、そして、長女への設置訓練指導、そして、実家のシステムを遠隔から乗っ取るまでのプロセスの全てを開示しました。
【2】このようなシステムを、安価に作ることができる私たちエンジニアの技能は、それ自体が財産であり、さらに、介護という苦痛に対して、システム構築というプロセスの中で「楽しむことができる」特権階級の人間である、と主張しました。
【3】「ペットカメラ」という名前で偽装された、高齢者見守りカメラが各種メーカーから販売されている事実と、これらのカメラを使うためだけに、実家にインターネット回線の敷設するケースが、結構な件数あるかもしれない(ウラを取っていない)ことを、述べました。
【4】見守りシステムの市場は小さく、利益率も極めて悪いことを定量的に示した上で、その理由が、「見守りサービス」は、それが必要と認識された時には、既にそれが不要となっている、という矛盾を包含するサービスであるとの、私の見解を述べました。
以上です。
結局のところ ―― 私が構築した見守りシステムは、結果から見れば全く無駄だったと言えます。
しかし、それでも、私は、こうして自分のやったことをコラムとして残すことができ、興味のある人に、そのノウハウ(システム構築方法や、プログラム等)を提供することができます。
何より、私が、見守りシステム作りを「楽しむ」ことができたと思います。
私は、まだへこたれてはいません。このシステムは、次は、「私を見守るシステム」として、近い未来に再起動する予定だからです。
「私の作ったシステムが、私を見守る」 ―― そして、このシステムは、私にも、そして私の娘たちにも「安らぎを与えてくれる」ものになるはずです。
これからの介護は、「他人に施されるだけ」というパラダイムから抜け出し、「自分で自分を介護」や、「壊れていく自分を観測し続ける介護」という概念に到達しなればなりません*)。
*)「壊れていく自分が、壊れていく自分を観測する」というのは、ある種の哲学的アポリアですが。
私は、見守りシステムを自作することで、多くの課題が見えてきました。
私は、これらの問題を解決すべく、新しい見守りシステムのプラットフォーム作りに、既に着手しています。
その概要を以下に示します。このプラットフォームについては、次回から詳細に説明致します。
近い未来、私は、介護する側から、介護される側に回ることになります。その時に、このプラットフォームが役に立てばうれしいと思っています。
これからは、「自分で自分の介護する方法」を模索し、介護される自分を楽しみ、さらに、壊れていく自分を観測して「面白い」と思いながら最期を迎える ―― そんな生き方と死に方ができるように ―― 私は、これからも、ジタバタし続けるつもりです。
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