というわけで、次の私の疑問は、"今"の量子コンピュータが、根拠なく論じられているバラ色の"未来"の量子コンピュータはいつごろやってくるだろうか、ということです。
これについていろいろと調べてみたのですが、量子コンピュータの世界は、どうしてなかなか閉鎖的です。もちろん、量子ビット、量子ゲート、そして量子アルゴリズムについては、気前よく論文が開示されています。これはアカデミズム(大学の研究室)主導で、主に数学を中心に展開されてきたからだと思われます。
ところが、これがハードウェアとなると、まったく情報が出てきません。特許庁の検索エンジンで"量子コンピュータ""ハードウェア"で検索してみたいのですが、わずか7件です ―― いくつか拾い読みしてみましたが、ハードウェアの設計に関係しそうな図面が開示されていたのは2件。それもモデル図で記載されていて、実際のハードウェアの設計には、全く役に立ちそうもない代物でした*)。
*)[Tさんツッコミ!]現状のハードウェアは、数十量子ビットの実験装置レベル(論文ではたくさん登場します)であり、数百量子ビット以上の商用レベルのものではないため、国内移行手続き(日本語の翻訳文の提出等)に至っていないだけかもしれません。
これは、明らかに、各研究所、企業、あるいは、各国政府主導で、量子コンピュータのハードウェアに関する情報が、営業秘密(不正競争防止法第2条6項)管理されている、と考えるのが自然です。そもそも、D-Wave, Google, IBMの名前で日本国に出願されていないというのが、異様です*)。
*)[Tさんツッコミ!]D-Wave、IBMの特許海外出願はたくさんあると思います。再調査頂ければ嬉しいです。こちらの報告書など参考になると思います。
これだけ“ないない尽くし”では、手の打ちようがありませんので、過去の古典コンピュータの歴史から、力づくで導き出してやろうと考えました。
まず、"今"の量子コンピュータが、"過去"の古典コンピュータのどのフェーズに入るのかを想定してみました。
私の仮説は、現在の量子コンピュータは、前述した「量子ビット」と、古典コンピュータで言うところの「真空管」と同じフェーズと考えました。このように考えていくと、プログラミング環境や、利用可能な台数なども、ほどよく一致しているようで、そこそこ根拠ある仮説になっていると思っています。
真空管コンピュータの初年度を1945年のENIACとして、国民全員が(古典)コンピュータのリソースを享受可能な状態になった時を、Windows95が発売された1995年として、ざっくり50年、と見積もりました*)**)。
*)当初、PC-8001の発売年1979年(→あと34年)でいいかと思ったのですが、インタフェースも考慮するとMacintosh SE/30の発売年1989年(→あと44年)、そして「大衆化」を考慮してWindows95の発売年1995年(→あと50年)としました。
**)[Tさんツッコミ!]ちなみに、国プロ「ムーンショット」では2050年(→あと30年)までに量子コンピュータを実現すると明言しています。ご参考まで。
そして、今後、間違いなく登場してくるのが「抵抗勢力」です。
ENIACが登場した戦中戦後、人々は「コンピュータは国家が統制管理するもの」と思い込んでいて、「個人がコンピュータを持つ」などという発想は1mmも持っていませんでした。
当時、コンピュータは原爆と同様「兵器」として考えられていましたので、製造方法などが秘密管理されていた点は、今の量子コンピュータと良く似ているような気がします*)。
*)[Tさんツッコミ!]米軍の研究所なども学会発表しているので、ある程度はオープンにしていると思います(どこまで隠していてどこまでオープンにしているかはわかりませんが)。
また、メインフレームが主流の時代にあっては、パーソナルコンピュータ(パソコン)の登場を徹底的に否定する人(例えば、メインフレームのベンチャー企業の社長)現われ、そして、ダウンサイジングの波にのまれたまま、会社を倒産させていきました*)。
*)ちなみに、私も『スマホなんぞが主流になることはない。ノートパソコンで十分だ』と言い続けて、見事に未来を外した1人です。
その理由は明快です。コンピュータができる未来のアプリケーションを想像することは、とても難しいからです(私の場合は、スマホのアプリ(特にSNS系)を想定できなかった)。
量子コンピュータも同じ道(抵抗勢力との闘い)を歩むことになるんだろうなぁ、と思っています。なぜなら、現時点で、量子コンピュータの未来って、全然ワクワクできないからです。
まあ、上記のこの3つで、ワクワクしない理由は十分だと思います。
つまるところ、量子であれ古典であれ、コンピュータは汎用的に使えるようになってから、アプリが登場するという性質があるのです。はっきり言えば、ハードウェアの発展が、ソフトウェアの進展を促してきたのです。
ことわざ「必要は発明の母(Necessity is the mother of invention)」は、コンピュータの世界では、あまりフィットしません。むしろ「潤沢な資源(リソース)が発明の母」です。
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