では、今回の私の最後の疑問 ―― "その量子コンピュータのお値段、おいくら?"です。
もう、この情報については絶望的に情報が得られませんでした。この病的なまでの秘密主義は、開発企業にとっては当然かもしれません。他社に技術を盗用されたら困る、ということもありますが、それ以上に、投資家に、現状の量子コンピュータの性能に対する費用対効果を計算されては困るからです。
量子コンピュータは投資回収が見込める質の良い投資対象とは思います。しかし、その投資コストの回収時期と方法が明確でないというリスクがあります。私なら、その会社の株は買わないと思います。
情報がないのは仕方がありませんので、1945年当時の真空管コンピュータの値段から、逆算を試みてみました。
私の所感は「それほど、お高くはないのね」でした。
国家プロジェクトとしてのマンハッタン計画(原爆開発計画)が、現在の金額で230億米ドル(2兆3000億円)と比較すれば、ほとんどタダみたいなものです ―― 比較する対象が違い過ぎるのかもしれませんが。
ただ、当時の真空管コンピュータ(または現在の半導体コンピュータ)と量子コンピュータとの決定的な違いは、極限環境の構築・維持管理にあります。
真空管や半導体は常温で動作します。もちろん、熱暴走を防止するための冷却は必要で、一定の割合で故障もしますが、量子コンピュータの稼働環境と比べれば、「どこでも動くデバイス」と言っても良いです。
しかし、量子コンピュータの稼働条件は、―― 「過酷」の一言に尽きます。
以下は、私が見つけた1枚の簡単な絵から、想像した量子コンピュータ装置のモデル図です。
量子コンピュータは、このようなとんでもないレベルの極限環境下でないと、動かないのです*)。
*)[Tさんツッコミ!]この図のモデルは、先程江端さんが説明されていた、「電子ドット方式」ではなく、「超伝導方式」だと思います。ただ「量子ドット方式」でも、”0猫”→”1猫”以外の励起状態に遷移しないように、数K以下の極低温状態で動作させる必要はあるようです。
少なくとも、数億円のレベルで作れる代物とは思えません。特殊な技術の製造コストが必要ですし、この極限環境を維持するコストはものすごいことになりそうです。さらに、専門のエンジニアや研究員の人件費もハンパではないと思います。主観ですが、ざっくりENIACの10倍程度のコストは必要になると思います*)。
*)[Tさんツッコミ!]量子アニーリング専用プロセッサのD-Waveが17億円という情報があります。商用利用を目的とした量子ゲートコンピュータとその管理維持を考えれば、「ざっくりENIACの10倍程度」は、妥当なコストだと思います。
量子コンピュータが、もう一つブレークスルーするためには、この極限環境の製造・維持コストの問題解決が必須であるように思えます。
では、今回の内容をまとめます。
【1】新連載「踊るバズワード 〜Behind the Buzzword」の2回目として、「量子コンピュータ」はバズワードではないとの所感を得ました。その理由として「内容が難しすぎて分かったような気にすらなれない」「分かったような気になれないもので騒ぐのは難しい」と考えました。
【2】「全ての人に向けた量子コンピュータを説明する記事は書けない」ということを悟り、この連載コラムの進め方の見直しを行いました。そこでこのコラムでは「私は、私が知りたいことを、その順番通りに書く」ことにしました。読者より自分の楽しさを優先するためです。
【3】量子ビットを現実にどうやって作っているのか、という疑問に悩まされ続け、ようやく出会った「電子」を使った方法について、アニメ解説動画を使って勉強し、自分なりに解釈したものを掲載しました。併せて、量子における非常に気持ち悪い現象である「トンネル効果」についても説明しました。
【4】"将来"ではなく、「"今"の量子コンピュータでできること」という観点から、6つの量子アルゴリズムを紹介しました。そのうち、今できるアルゴリズムの"意義"はものすごいと認めつつ"内容"がショボいもの、または、"意義"も"内容"もスゴいが、"今"の量子コンピュータのスペックではまともに動かないもの、などに分類してみました。
【5】「根拠なく論じられているバラ色の"未来"の量子コンピュータ」が、到来するのはいつごろかを、古典コンピュータの歴史から逆算して、あと50年程度と推定してみました。また、その到来まで、各種の「抵抗勢力」が登場することや、現時点での「量子コンピュータのアプリケーションのつまらなさ」について論じてみました。
【6】"その量子コンピュータのお値段、おいくら?"という素朴な疑問に対して、過去の真空管コンピュータのコストから推定した結果、現時点での製造コストは、ざっくり100億円弱ではないか、と推定してみました。
以上です。
聞き及んだ話ですが ―― ある企業の研究所では、『生まれたてで、ヨチヨチあるきをしている赤子のような新しいアイデア(発明)に対して、権利化後の費用対効果を試算せよ』という業務命令がされるそうです。
このような無機的な業務命令によって、すっかりやる気を失ってしまった研究員を、少なくとも私は、一人、知っています。
生まれたてのアイデア、発明、方式は、発明者や周りの人間で、優しく保護しながら、気長に、育てることが重要です。
周囲の人間の仕事は、未熟な発明をたたきつぶすことではありません ―― 仮に発明を育てる意図で厳しい命令をしたのだとしても、その結果、発明者の心をへし折ってしまうのであれば、結果的に「発明殺し」と同じことです。
―― そういうことなんですよ、江端さん、分かっていますか?
と言われて、「え? 『発明殺し』って私? 私、加害者?」と驚いたことがあります。
誰もが、自分は常に被害者と思っています。加害者を自覚して生きている人はほとんどいないでしょう。
ですから、こういう指摘をもらえるのは、有り難いことと分かってはいます ―― が、面と向かってはっきり言われると、愉快ではありませんでした。
それはさておき。
今回、私は、"将来"ではなく、"今"の量子コンピュータにこだわって、いろいろ調べたり、推測したり、論じたりしています。
まあ、例えるのであれば、"今"の幼稚園児の身体調査をして、"未来"のその子の生涯年収を見積もる、という、エゲつないことをやっているようなものです。いわば私は、「量子コンピュータ殺し」の加害者です。
しかし、まあ、私と同じような論旨を展開している人はいないようですし、私のような、量子コンピュータのずぶの素人の戯言(たわごと)なら、世間も軽くスルーしてくれるだろうと思っています。
少なくとも、今回のコラムは、量子コンピュータに対して、過度な期待をしている人にとっては、ほどよい鎮静剤の役割は果たせたと思っています。
私が死ぬまでの間に、汎用化された量子コンピュータによるサービスを受けられるようになるのかは、かなり微妙なところだと思いますが、少なくとも、量子コンピュータには、あと2〜3回ほどのブレークスルーは必要でしょう。
取りあえずは、オフィス環境下(×無振動、×絶対零度、×真空、×無磁力)における量子ビットデバイスの実現かなぁ、と思っています。
ともあれ、量子コンピュータ開発への資金援助を行っている、政府や企業の取締役クラスの人には、ENIACから現在に至るまでの80年の歴史を振り返りながら、長期的な投資計画に腹を据えて欲しいと願っています。
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