東京大学らの研究グループは、反強磁性体であるマンガン化合物において、試料形状の影響を受けず、全方向に指向可能な巨大磁気応答が得られることを見いだした。この特性を用いて、新たなメモリ開発につながる多値記憶機能を実証するとともに、外部磁場の乱れに強い異常ネルンスト熱流センサーを開発した。
東京大学の研究グループは2021年2月、理化学研究所や米国Johns Hopkins大学らの研究グループと共同で、反強磁性体であるマンガン化合物(Mn3Sn)において、試料形状の影響を受けず、全方向に指向可能な巨大磁気応答が得られることを見いだしたと発表した。この特性を用いて、新たなメモリ開発につながる多値記憶機能を実証するとともに、外部磁場の乱れに強い異常ネルンスト熱流センサーを開発した。
反強磁性体は、「強磁性体に比べてスピンダイナミクスが2〜3桁も速く、デバイスの高速化が可能」「漏れ磁場を作らず、デバイスの高密度化に適している」「材料選択の自由度が高い」といった特長がある。このため、次世代の磁性材料として注目されている。
ただ、大きな磁化を持つ強磁性体は、磁化によって応答の大きさや向きを制御できるのに対し、磁化を持たない反強磁性体は、電気や熱、光に対して巨大な応答を得ることが難しい、という課題があった。
研究グループはこれまで、マンガン(Mn)とスズ(Sn)からなるMn3Snに着目。Mn3Snが室温で、強磁性体に匹敵する大きな異常ホール効果や異常ネルンスト効果、磁気光学カー効果が得られることを発見した。また、Mn3Snはワイル粒子を持ち、ワイル磁性状態を示すトポロジカル磁性体であることも明らかにしてきた。つまり、ワイル粒子の作る巨大な仮想磁場を運動量空間に持つため、巨大な磁気−電気、熱−電気応答などが現れるという。
仮想磁場の向きは、Mn3Snが有する非共線反強磁性スピン構造の持つクラスタ磁気八極子と対応関係にある。このため、カゴメ格子面内でクラスタ磁気八極子の向きを制御すれば、仮想磁場とそれに由来する巨大応答を制御できるという。クラスタ磁気八極子の向きを、磁場ではなく電気的に制御する手法も開発中である。
研究グループは今回、シリコン基板上にスパッタリング法を用いてMn3Snの多結晶薄膜を作製。この試料を用いて磁場に対する異常ホール効果の変化を測定した。膜の面直から面内方向(θとφ方向)に磁場の印加方向を変化させながら掃引をしたところ、多値記憶が可能であることを確認した。
この結果は、3次元空間の全方向に仮想磁場(磁気八極子と平行)を向けることができる特性を示したものだという。これは、Mn3Snの磁化が極めて小さく形状磁気異方性の影響を受けないことや、カゴメ格子面内に磁気容易面を持つことに由来しているとみている。さらに、カゴメ格子に平行する2次元面内のみではあるが、単結晶(単一グレイン)試料でも、同じように多値記憶が可能であることを実証した。
強磁性体でも、多結晶試料であれば多値記憶が可能である。しかし、単結晶試料だと読み出し信号は2値化する。これに対しMn3Snは、数ナノから数十ナノの単一グレインからなる記憶素子に、「0」と「1」だけでなくそれ以上の情報を「書き込み/読み出し」できる可能性があるという。
形状磁気異方性の影響が小さいという特性は、熱を電気に変換する異常ネルンスト効果を用いた磁気デバイスでも、その機能を発揮するという。このため、熱の流れを可視化する熱流センサーへの応用が可能である。特にMn3Snは、細線化した試料でもその熱電特性を簡単に維持することができる。
研究グループは、Mn3Sn多結晶と電極の細線からなる熱流センサーを作製し、異常ネルンスト効果によって生じた電圧の磁場依存性を測定した。これにより、サブミリボルト程度の大きな信号が±0.9T程度の磁場まで反転せずに現れていることが分かった。また、ゼロ磁場におけるネルンスト電圧は、熱流に対し線形に比例しており、熱流センサーとして機能することも確認した。
単位面積当たりの熱流感度は1.3mV/Wで、従来の強磁性体を用いた異常ネルンスト熱流センサーや市販の廉価版ゼーベック熱流センサーに匹敵する性能になった。外部磁場に対する安定性も、10〜100倍高いという。
研究グループによれば、単一グレインの記憶素子における多値記憶機能は、脳神経を模擬した脳型計算機や量子コンピュータの実現につながる技術とみている。
今回の研究は、東京大学大学院理学系研究科の肥後友也特任准教授(当時は東京大学物性研究所特任助教)、東京大学大学院理学系研究科・新領域創成科学研究科・物性研究所およびトランススケール量子科学国際連携研究機構の中辻知教授、同研究所・同機構の大谷義近教授(理化学研究所創発物性科学研究センターのチームリーダー併任)、理化学研究所創発物性科学研究センターの近藤浩太上級研究員、米国Johns Hopkins大学のC.L.Chien教授らが共同で行った。
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