新型コロナウイルス感染症の流行初期に、日本における感染症学やワクチン研究の脆弱さが嘆かれる場面を目にする機会が度々あったと思います。
これは大学院で教授の愚痴を聞いていたであろうエンジニアの皆さんには素直に納得して頂けると思いますが、端的に言って「実に(あるいは、金に)なりそうにない研究に国が金を出さなくなった」のです。
「選択と集中」「科研費」というキーワードで調べていただければさまざまヒットしますが、結果として「すぐに金になる応用」が重視され、「いつ成果が出るか分からない基礎研究」にしわ寄せがきています。
「成果が出たところや話題の分野には手厚くお金を投下するが、成果が出ていない、もしくは流行らない分野にはお金を渡さない」という暗黙のルールが、研究の芽をつぶしているというのは、かなり前からノーベル賞受賞者も警鐘を鳴らしているところです*)。
*)私は、「日本人のノーベル賞受賞者の多くが、日本の大学に在籍してない」ことに、あ然としたことがあります。「これって、”日本人のノーベル賞”なのか?」と思うことがあります(江端)
昔は、「運営交付金」という競争無しでもらえるお金がある程度有り、誰にも見向きもされない仕事をコツコツ続けることができた時代があったそうです ―― 今では信じられませんが。
文部科学省としては「科学者からのリスニングは頻繁に行っている。しかも、科研費の採択の審査は各分野の教授複数人に委託している。芽を育てずにつんでいるのは文科省のせいでは無く科学者自身の責任ですよね?」と開き直っています(シバタ主観)。
そもそも、科研費は採択率も低いです。
現在の採択率は、応募に対して2〜3割です。はずれたら研究費無しです。各種助成金に応募しつつ、その年はボーッと過ごし、そうすると成果も出ないので翌年の科研費も当たらずお金も無いので学生に講義だけしてボーッと過ごし……ということが起こりかねない時代です。安全策を採るならば、はやりの領域で小さくまとまったテーマで堅実にお金を取りに行くのが「賢い」やりかたです。
そんな中で、訴訟問題で行政から白い目で見られているワクチンや、はやりもしない感染症に対して、果たして1年前に研究費があったかどうか ―― 肝炎など有名どころのウイルスには基礎研究というより臨床医学側から予算が付いていましたが、終息してしまったSARSや、さらに言えば、新型が現れる前は、本当にただの風邪という認識だったコロナウイルスについて、コツコツとした地道な研究を続けることができる状況ではありませんでした。
8割おじさんこと西浦教授が感染症の数理学を海外で学んで日本に持ち帰ってきていたのは、新型インフルエンザに対する脅威がちょうど時代背景にありましたが、これは奇跡的だったと思います。
逆に、2020年からことし(2021年)にかけてコロナ関連の研究にドーンとお金がつきました。「素人だけどコロナにこじつけて申請したら審査に通っちゃった」という研究者が、結局能力不足で資金を返上したというびっくりするような話が実際にあります。そして今後もコロナ関連の研究費が優先される気配がビンビンします。
コロナに対して「選択と集中」を適応するのはある程度正しいと思いますが、その一方で、「選択と集中」から外れた研究が、さらなるあおりを受けるのは、もはや確定事項です。ちなみに、医学分野は他分野に比較して金額的にかなり恵まれています。ただ、試薬や分析機器に圧倒的にお金がかかるので、充足しているかは主観的には微妙です。
国立は比較的恵まれています。私立にも国から助成金が、そこそこつぎ込まれます。公立は国からお金が入りませんので慢性的に貧乏です。また、科研費の大学ごとの配分の超絶不均衡は有名です(参考)。
「『科研費の取り分比率が、東京大学を初めとした旧帝国大学の上から順番に申請前に確定している』というウワサは、都市伝説ではなく本当なのだよ」という恐ろしい話もありますが、真偽は不明です。単純に有名大学ほど業績がすばらしいだけだと「信じたい」です。
ところで、万が一にも太っ腹な超大金持ちのかたがたが、ビッグな寄付を持ちかけて下さるなら、わたくしは喜んで受け取らせていただきます ―― EETimes Japan編集部へ是非ご一報を。
また、江端さんは個人宅に量子コンピュータを設置するためのシミュレーションを既に行っております。ビリオネアの方々におかれましては、ぜひ江端さんに億単位の寄付をされてはいかがでしょうか?設置にはどうやら家ごと改造する必要があるそうです(著者ブログ「子ども部屋を2つ壁をぶち抜いたら、そこに「量子コンピュータ」を設置できるかな、とか考えています。」)。
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