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創刊前の20年間(1985年〜2005年)で最も驚いたこと:「高輝度青色発光ダイオード」(後編)福田昭のデバイス通信(503) EETimes Japan 20周年記念寄稿(その4)(1/5 ページ)

前回に続き、20周年記念寄稿として発光ダイオード(LED)、特に「高輝度青色発光ダイオード」に焦点を当てます。高輝度青色LEDの誕生に至る「低温バッファ層」技術の偶然と必然、研究者の挑戦と快進撃を振り返ります。

» 2025年09月26日 11時30分 公開
[福田昭EE Times Japan]

ご注意:今回は前編の続きです。まず前編を読まれることを強く推奨します。



「低温」でバッファ層を「薄く」たい積するという意外な技術

 前編では、1985年に筆者が「実現不可能に近いほど困難な課題」と考えていた2番目のテーマ「高輝度青色発光ダイオード(LED:Light Emitting Diode)」の実現に向けた、最初の大きなブレークスルー「高品質単結晶薄膜の作製」について記述しました。

EE Times Japanの創刊20年前(1985年)における課題とブレークスルー。なお1985年の時点では、高輝度青色LEDの候補材料としてはSiCとZnSeが有力であり、GaNは研究者が極めて少ない状態だった。そんな中で1985年2月に、GaN高品質単結晶薄膜の作製というブレークスルーが始まっていた

 前編でも述べましたが、ブレークスルーに成功したのは名古屋大学の赤崎勇氏と天野浩氏らの研究グループ(以降は「赤崎・天野グループ」と表記)です。1985年2月にGaN(窒化ガリウム)単結晶薄膜の作製に成功し、1986年に論文として発表しました。サファイア基板にAlN(窒化アルミニウム)バッファ層を低温(500℃〜600℃)で薄くたい積し、その上にGaNを高温(約1000℃)でMOVPE法によって成長させたところ、結晶品質が高く、単結晶と呼べる薄膜を得たのです。

高輝度青色発光ダイオード(青色LED)開発の主な歴史(前編)。1907年から1986年まで。1907年にSiCで初めての発光現象(LEDの原型)を観測(原理については言及せず)、1924年にはSiCの発光現象を度重なる実験から、電流による発光だと推定(半導体のエネルギーバンド理論は7年後の1931年に提唱される)。そして1971年にはMIS型GaNダイオードで緑色の発光を観測。GaNブームとその衰退を経て、1986年にGaN高品質単結晶薄膜が作製される

 この「低温で薄くたい積したバッファ層」を基板とGaNの間に挟むことによる、バッファ層の上に高い品質のGaNを成長させる技術は「低温たい積バッファ層(低温堆積緩衝層)」技術と呼ばれています。バッファ層の厚み(バッファ層の材料とその上に成膜する材料によって最適値は異なるとみられます)は20nm〜100nmしかありません。「低温たい積バッファ層」技術はその後、GaN系高品質結晶薄膜の標準的な成長技術となりました。

 薄膜成長の世界では、温度が高いほど結晶に品質が高くなるという考え方が支配的です。赤崎・天野グループも当初はAlNバッファ層を高温(AlN薄膜のエピタキシャル成長温度に近い1000℃と思われます)でたい積させていました。しかし、高温でたい積したAlNバッファ層の上に成長させたGaN薄膜の品質は低く、表面は「擦りガラス」のような状態でした。

 サファイアの原子間距離(0.275nm)とGaNの原子間距離(0.319nm)では、GaNが16%長い。この違いは結晶成長では致命的な不整合であり、バッファ層で不整合を緩和してGaNの結晶品質を高めるという考え方そのものは、理にかなうものです。しかし、結果は当初、惨たんものでした。

このころは磨りガラスのような結晶ができてしまう日々が続いていたので、……(中略)……疲れてもいたので、成長中の結晶は見るのも嫌になっていました
(出所:天野、福田、『天野先生の「青色LEDの世界」』、講談社ブルーバックス、2015年9月発行)

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