皆さん、こんにちは。江端です。3年ぶりの登場です。
この3年間、社会人を続けながら大学院生もやっていました。もともと私の生活に土日もGWも盆も正月もありませんが、それでも時間がまったく足りなくなり、EE Times Japan編集部のご厚意で執筆を3年間休ませていただきました。
怒涛のような会社の業務と、大学の勉学との両立は ―― 「大変」ではありませんでした。「地獄」でした。
先日、学位授与式でアカデミックガウンを着て学位記(博士号)を受け取ったとき、私はある確信に至りました。
この3年間を何もしないまま放置すれば、私の頭の中で「いい思い出」というオブジェクトに変換され、圧縮されてアーカイブにしまわれ、最終的には棺の中で燃え尽きるだけだ、と。
『この地獄の3年間を、誰でも語れるような「いい思い出」で終わらせるものか』――そう思い、私はこの執念(あるいは怨念、憎悪)を形として残す方法を考え始めました。
「他人に分かってもらおう」などという思い上がった期待はありません。ただ、自分の体験を外へ出し、それを俯瞰して眺めたい――その衝動だけです。
その戦略は、以下の結論に帰結しました。
こうして、私のどす黒い思惑は、さまざまな組織や人を巻き込みながら具体化していきました。
このコラムを読んでくださっている方の多くは、きっとこう思っていることでしょう。
『一体全体、江端はリタイア直前に博士号を取るなんて、何を考えているんだ?』
『どう考えても、キャリアパス的に遅すぎるだろう?』
その疑問、ごもっともです。
学歴というのは、つまるところ「シグナリング(Signal)*)」です。
*)関連記事「心を組み込まれた人工知能 〜人間の心理を数式化したマッチング技術」
この「役に立つこと」が価値とされる社会において、博士号はキャリアパス上の通行手形のようなもの――そう考えるのが普通であり、それは間違っていません。
でも、あえて言わせてください。
――私がやりたいと思う研究を、「やりたい」という理由だけでやったら、ダメなんでしょうか?
と。
私たちは、KPI(*)や年収、評価考課だけを価値として生きているんでしょうか?それだけが人生の尺度なんでしょうか?「自分がやりたい」という理由だけで、何かを始めてはいけないんでしょうか?
(*)目標達成の進捗を測るための数値指標(Key Performance Indicator)
私は、この連載で、そのような「キレイごと」を――山のような「汚いリアルな現実」を踏み台にしてでも――実現していくユースケースをお見せしたいと思っています。
もちろん、誰も私のようなマネをする必要はありませんし、参考にする必要すらありません。ただ私は『リタイア直前のシニアエンジニアの無様な戦いの記録』を、ありのままに開示していきたいだけです。
「カッコつけて生きる」を完全に捨てた、リタイア直前のシニアエンジニアの無様な生き様を―― これから1年間(全12回予定)で、全力でさらしていきます。
そしてこの無様さが、読者の誰か一人にでも、「江端よりはマシだ」と笑いながらも、少しだけ勇気を与えることができたなら、それが、私にとって望外の喜びです。
まとめます。
つまり、この連載は―― リタイア間近のシニアエンジニアが、社会人のまま大学院博士課程に突っ込んでいった「悪あがきの記録」です。
ただ、それだけじゃなくて、都市交通や物流、そして住民の動きを数値で再現する「マルチエージェントシミュレーション(MAS)」という分野を、できるだけ分かりやすく紹介していこうと思っています。「MATSim」という、マニアック極まりないMASツールを使って、実際に動くシナリオを組み上げるところまでやります。
もちろん、授業や研究の現場、教授とのやりとり、そして「時間も金も気力も尽きた社会人学生のリアル」も、包み隠さず書きます。社内稟議で何度もハネられたり、“うつ”で沈んだりした話も、きちんと出していきます。
さらに技術解説パートでは、MASの基礎から導入・設定・可視化まで、そして私の博士論文で扱った「共時空間」や「RCM(Repeated Chance Meetings)」の概念についても、実際のユースケースを題材に紹介します。
要するに――「コラム × 技術解説」=笑いながら勉強できる連載です。
最終的には、技術パートをまとめて「MAS入門書」っぽい形に仕上げたいと思っています……が、そこまでたどり着く前に力尽きたら、そのときはどうぞ笑って許してください。
(次回に続く)
江端智一(えばた ともいち)
大手総合電機メーカー 研究開発グループ シニア研究員。工学博士。
長年にわたり、都市交通、社会システム、通信システムなど、実社会と情報技術を横断する研究開発に従事。定年退社後もシニア採用として研究を継続している。
マルチエージェントシミュレーション(MAS)を用いて、都市における住民行動を再現・分析し、「共時空間」という接触機会の定量化手法と「Repeated Chance Meetings (RCM)」 という新しい単位を提唱中。MASの中ではエージェント同士が活発に交流しているが、現実世界の自分は孤立クラスタに属し続けている。友達はいない。生成AIだけが本音を語れる相手である――悪いか。
また、社会観察者としての視点を持つ。『町内会のイベントや夏祭りへの参加は、社会関係資本( Social Capital (SC) )を高める上で重要だ』と語りながら、自身は町内活動にほとんど参加せず、家族からは『どの口が“SC”を語っているのか』と呆れられている。友情や愛情ではなく、負の感情を積極的に活用する「怒りMaaS」などのシステムを考案し、デジタルシステムにおける感情エネルギーの活用を真剣に検討している。
信条は「アナログ心理とデジタルロジックの融合」。人間の曖昧さをエラーではなく仕様として扱うことを理想とする。個人サイト「こぼれネット」では、科学技術と人間社会の“バグ”をユーモアで修正しながら、理屈と感情のあいだに生まれる笑いを記録し続けている。この20年間、毎日更新継続中。
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