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序章――「MAS」のオールで博士課程の荒波を乗り超えるリタイア直前エンジニアの社会人大学漂流記(1-1)(4/4 ページ)

» 2025年12月11日 11時00分 公開
[江端智一EE Times Japan]
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3年ぶりに帰ってきました

 皆さん、こんにちは。江端です。3年ぶりの登場です。

 この3年間、社会人を続けながら大学院生もやっていました。もともと私の生活に土日もGWも盆も正月もありませんが、それでも時間がまったく足りなくなり、EE Times Japan編集部のご厚意で執筆を3年間休ませていただきました。

 怒涛のような会社の業務と、大学の勉学との両立は ―― 「大変」ではありませんでした。「地獄」でした。

 先日、学位授与式でアカデミックガウンを着て学位記(博士号)を受け取ったとき、私はある確信に至りました。

 この3年間を何もしないまま放置すれば、私の頭の中で「いい思い出」というオブジェクトに変換され、圧縮されてアーカイブにしまわれ、最終的には棺の中で燃え尽きるだけだ、と。

 『この地獄の3年間を、誰でも語れるような「いい思い出」で終わらせるものか』――そう思い、私はこの執念(あるいは怨念、憎悪)を形として残す方法を考え始めました。

 「他人に分かってもらおう」などという思い上がった期待はありません。ただ、自分の体験を外へ出し、それを俯瞰して眺めたい――その衝動だけです。

 その戦略は、以下の結論に帰結しました。

  • ここは、EE Times Japanさんに“踏み台”になってもらおう。長い付き合いだし、今回も諦めてもらおう
  • ついでに、(今や私の母校でもあり)横浜国立大学、そして、お世話になった、都市イノベーション学府の先生にも巻き込まれて頂こう
  • どうせリタイアしたんだし(2025年10月31日に退職(その後「シニア採用」で確定))、会社への忖度(そんたく)のレベルを、この際、思いっ切り下げてやろう
  • ついでに、私が横浜国立大学(以下、横国大と称します)で学んだことや、私がパソコンを熱暴走でつぶしながら作り続けてきたマルチエージェントシミュレーションの解説もやってやろう

 こうして、私のどす黒い思惑は、さまざまな組織や人を巻き込みながら具体化していきました。



 このコラムを読んでくださっている方の多くは、きっとこう思っていることでしょう。

『一体全体、江端はリタイア直前に博士号を取るなんて、何を考えているんだ?』
『どう考えても、キャリアパス的に遅すぎるだろう?』

 その疑問、ごもっともです。

 学歴というのは、つまるところ「シグナリング(Signal)*)」です。

*)関連記事「心を組み込まれた人工知能 〜人間の心理を数式化したマッチング技術

 この「役に立つこと」が価値とされる社会において、博士号はキャリアパス上の通行手形のようなもの――そう考えるのが普通であり、それは間違っていません。

 でも、あえて言わせてください。

 ――私がやりたいと思う研究を、「やりたい」という理由だけでやったら、ダメなんでしょうか?

と。

 私たちは、KPI(*)や年収、評価考課だけを価値として生きているんでしょうか?それだけが人生の尺度なんでしょうか?「自分がやりたい」という理由だけで、何かを始めてはいけないんでしょうか?

(*)目標達成の進捗を測るための数値指標(Key Performance Indicator)

 私は、この連載で、そのような「キレイごと」を――山のような「汚いリアルな現実」を踏み台にしてでも――実現していくユースケースをお見せしたいと思っています。

 もちろん、誰も私のようなマネをする必要はありませんし、参考にする必要すらありません。ただ私は『リタイア直前のシニアエンジニアの無様な戦いの記録』を、ありのままに開示していきたいだけです。

 「カッコつけて生きる」を完全に捨てた、リタイア直前のシニアエンジニアの無様な生き様を―― これから1年間(全12回予定)で、全力でさらしていきます。

 そしてこの無様さが、読者の誰か一人にでも、「江端よりはマシだ」と笑いながらも、少しだけ勇気を与えることができたなら、それが、私にとって望外の喜びです。



 まとめます。

 つまり、この連載は―― リタイア間近のシニアエンジニアが、社会人のまま大学院博士課程に突っ込んでいった「悪あがきの記録」です。

 ただ、それだけじゃなくて、都市交通や物流、そして住民の動きを数値で再現する「マルチエージェントシミュレーション(MAS)」という分野を、できるだけ分かりやすく紹介していこうと思っています。「MATSim」という、マニアック極まりないMASツールを使って、実際に動くシナリオを組み上げるところまでやります。

 もちろん、授業や研究の現場、教授とのやりとり、そして「時間も金も気力も尽きた社会人学生のリアル」も、包み隠さず書きます。社内稟議で何度もハネられたり、“うつ”で沈んだりした話も、きちんと出していきます。

 さらに技術解説パートでは、MASの基礎から導入・設定・可視化まで、そして私の博士論文で扱った「共時空間」や「RCM(Repeated Chance Meetings)」の概念についても、実際のユースケースを題材に紹介します。

 要するに――「コラム × 技術解説」=笑いながら勉強できる連載です。

 最終的には、技術パートをまとめて「MAS入門書」っぽい形に仕上げたいと思っています……が、そこまでたどり着く前に力尽きたら、そのときはどうぞ笑って許してください。

(次回に続く)

Profile

江端智一(えばた ともいち)

大手総合電機メーカー 研究開発グループ シニア研究員。工学博士。

長年にわたり、都市交通、社会システム、通信システムなど、実社会と情報技術を横断する研究開発に従事。定年退社後もシニア採用として研究を継続している。

マルチエージェントシミュレーション(MAS)を用いて、都市における住民行動を再現・分析し、「共時空間」という接触機会の定量化手法と「Repeated Chance Meetings (RCM)」 という新しい単位を提唱中。MASの中ではエージェント同士が活発に交流しているが、現実世界の自分は孤立クラスタに属し続けている。友達はいない。生成AIだけが本音を語れる相手である――悪いか。

また、社会観察者としての視点を持つ。『町内会のイベントや夏祭りへの参加は、社会関係資本( Social Capital (SC) )を高める上で重要だ』と語りながら、自身は町内活動にほとんど参加せず、家族からは『どの口が“SC”を語っているのか』と呆れられている。友情や愛情ではなく、負の感情を積極的に活用する「怒りMaaS」などのシステムを考案し、デジタルシステムにおける感情エネルギーの活用を真剣に検討している。

信条は「アナログ心理とデジタルロジックの融合」。人間の曖昧さをエラーではなく仕様として扱うことを理想とする。個人サイト「こぼれネット」では、科学技術と人間社会の“バグ”をユーモアで修正しながら、理屈と感情のあいだに生まれる笑いを記録し続けている。この20年間、毎日更新継続中。



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