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He/ナフサ供給危機で工場新設も遅延? 装置/チップメーカーへの波及経路を探る湯之上隆のナノフォーカス(90-2) He/ナフサ供給危機と半導体(2)(4/4 ページ)

» 2026年04月24日 13時45分 公開
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6.6 何が必要な政策か――総量論からの脱却

 以上の分析から、必要な政策フレームワークの方向性は以下である。

(1)品番レベルでの供給把握

 「ナフサ」「フッ素樹脂」などの大まかな総称ではなく、特定グレード・特定品番の国内・海外供給状況を把握する体制が必要である。これには装置メーカー、素材メーカー、チップメーカーの協力が不可欠であり、通常の統計では捕捉できない。半導体産業のQVLをベースにしたマテリアル監視ネットワークの構築が望まれる。

(2)認定プロセスの戦略的短縮

 代替サプライヤー、代替材料への切替には認定が必要である。通常1〜2年かかる認定プロセスを、危機時に戦略的に短縮する仕組み(事前認定、仮認定、政府保証)が必要である。これは米国がディフェンス・サプライチェーンで用いている手法であり(DPAS: Defense Priorities and Allocations System, 15 CFR Part 700; DoD "Securing Defense-Critical Supply Chains" Report to the President, 2022)、参考になる。

(3)He戦略備蓄の物理的検討

 石油備蓄モデルが使えないHeについて、別のアプローチを検討する必要がある。液化He備蓄基地の整備、国産化研究(天然ガス田のHe含有調査、米国ガス田権益確保)、需要削減技術(低蒸発MRI技術の半導体応用)などが選択肢となる。

(4)PFAS規制への半導体例外の確保

 ECHA規制、各国のPFAS規制に対して、半導体産業向けの適用除外(derogation)を確保する外交努力が必要である。これは欧州、米国、日本が協調して取り組むべき課題であり、日本単独では限界がある。

(5)総量から「流れ」への発想転換

 最も根本的なのは、「何カ月分あるか」とういうことから「何が詰まっているか」への発想転換である。危機は総量で来るのではなく、局所詰まりで来る。従って、監視も対策も、フローのボトルネックに焦点を当てるべきである。

6.7 本章の結論

 「ナフサ4カ月在庫」論は、性善説で、かつ従来のフレームワークの中では正しく構築された議論である。しかしそれは、半導体産業の物質的基盤が「総量ではなく特定品番」「備蓄ではなくフロー」「汎用ではなく認定品」に依存しているという現実を反映していない。

 この認識ギャップが埋まらない限り、政策は本質的な対応を取れない。現在の政策論議の最大のリスクは、危機そのものではなく、危機を正しく認識できないフレームワークそのものにある。

 以上を踏まえて、最終警告を行う。問題は「ナフサ4カ月」の総量ではない。問題は、認定済みの特殊品が、品番レベルで消えることである。総量政策では、これは決して見えない。見えない問題は、対処できない。そして対処できないうちに、半導体産業の製造能力は静かに、しかし確実に失われていく。

最終章:まとめ

 本稿で論じてきたHe供給途絶とナフサ/PFAS由来の部品・材料途絶危機は、以下の点で従来のサプライチェーンリスクと根本的に異なる。

 第一に、装置は動くがプロセスが成立しないという新しい停止形態である。これは従来のBCPが想定していない事態である。

 第二に、最先端ノードから、最も激しく崩れるという非対称性である。これは経済安全保障上、最悪のシナリオに近い。この事態は、日本の国家プロジェクトのRapidusを直撃する。

 第三に、備蓄では吸収できない構造的制約である。He、ナフサ/PFAS素材のいずれも、石油型の備蓄モデルが成立しない。

 第四に、見えにくいという政治的特性である。半導体工場停止は報道されるが、歩留まり低下は報道されない。認定済み部品の欠品は、現場では深刻でも、政策アジェンダには上がりにくい。

 第五に、回復に年単位を要するという不可逆性である。認定サプライチェーンの再構築には18〜24カ月、代替材料開発を伴えば3〜5年。この間、日本だけでなく世界の半導体供給能力は構造的に低下したままとなる。

半導体産業を正しく認識するための問いとは

 従来、半導体のサプライチェーンリスクを論じる際の問いは、以下のようなものだった。

  • 「どの国から買っているか」
  • 「何カ月分の在庫があるか」
  • 「代替サプライヤーはあるか」

 これらの問いは、対象物が交換可能(fungible)で、備蓄可能で、多用途であることを暗黙の前提にしている。石油はこれら全てを満たす。しかし半導体材料は、これら全てを満たさない。

 従って、問いは以下のように転換されなければならない。

  • 「どの品番が、どのラインを止めるか」
  • 「フローのどこが詰まりうるか」
  • 「認定を通った代替が存在するか」
  • 「規制・撤退・分社化で、供給ベースから消えるものは何か」

 この問いの転換ができるかどうかが、今後数年の半導体産業の運命を左右する。

認識のフェーズ

 現在、世界の(日本も)危機は、第1フェーズと第2フェーズの境目にある。表面的には、半導体産業は稼働している。AIブームに乗ってTSMC、NVIDIA、SK hynixの業績は好調である。半導体工場の建設は進み、装置出荷は続いている。

 しかしその裏で、Heスポット価格は高止まりを続け、PFAS規制は進行し、3Mは撤退に向かい、ナフサ由来の部品の枯渇は進行中である。見えるところは好調、見えないところは逼迫という、危機の典型的な初期症状が現れている。

 この時期に最も危険なのは、「まだ何も起きていない」という誤認である。実際には、第3章で示した規制・撤退・分社化のイベントは既に起きている。第1章で示したプロセス依存構造も既に存在している。起きていないのは、これらが顕在化する瞬間だけである。

政策と産業への提言

 本稿の分析から導かれる提言は、以下に集約される。

政府に対しては、

  • ナフサ総量論からナフサ起因の部品・材料の品番レベルでの監視体制への転換
  • He戦略備蓄と国際確保の検討開始
  • PFAS規制への半導体例外確保の外交努力
  • 認定プロセス戦略的短縮の枠組み整備
  • 装置・素材・チップメーカーを横断するマテリアル監視ネットワーク構築

装置メーカーに対しては、

  • アフターマーケット部品のマルチソース化加速
  • 代替材料の事前認定投資
  • 顧客との情報共有プロトコル強化

チップメーカーに対しては、

  • Heおよび特殊素材の品番レベル監視
  • プロセス条件のマージン再評価(He依存度のマッピング)
  • 装置メーカーとの共同在庫戦略
  • 先端ノードへのリソース集中の判断基準の事前策定

素材メーカーに対しては、

  • 半導体グレード認定品の供給コミットメント明確化
  • 地理的分散化投資
  • 規制対応の先回り(PFAS代替分子の研究加速)

エピローグ

 半導体産業は、世界で最も精緻に作り上げられた産業の一つである。数百の装置、数千の素材、数万の部品、そして数十万の工程条件が、ナノメートルの精度で調整され、互いに整合している。

 この精緻さは、この産業の最大の強みであると同時に、極度の脆弱性でもある。Heという一つのガス、PFASという一つの分子族、そしてナフサから生まれる一系統の化学物質群が、この巨大産業全体を揺るがしうるのは、決して偶然ではない。それは、現代の精密産業が、特定の物質に対して代替不可能な依存を形成しているという、構造的必然の現れである。

 世界の半導体産業の未来は、最先端のリソグラフィ技術や、AIによって高度に自動化された回路設計の巧拙によってではなく、「ガスが届くのか」「シールが手に入るのか」「潤滑油が供給されるのか」そして「フォトレジストが届くのか」という、一見地味で、しかし決定的な四つの問いに、その命運が賭けられている。

 この問いを正しく立て、正しく答えられるかどうか――。それが今、半導体産業、自動車産業をはじめとするIT・エレクトロニクス産業、各国政府、そして国際社会全体に問われている。

 最先端のナノメートルノードの半導体の精度を支えているのは、ナノメートルの微細加工技術ではない。それを支える、ありふれた、しかし唯一無二の物質たちである。

この事実を、筆者はもはや見過ごすことはできない。

参考文献・出典一覧

一次資料(特許)

US5624582A - Applied Materials, ドライエッチにおける裏面He冷却

US6159299A - Applied Materials, ESC温度制御

US6562128B1 - ASM America, エピタキシャル成長工程

US6905079B2 - CVD背面ガス熱制御

US7674636B2 - Applied Materials, CVD背面ガス

US9576811B2 - ALDプロセス関連

WO2020214732A1 - Lam Research, ALDキャリアガス

規制・政府文書

ECHA, "ANNEX XV Restriction Report: Per- and polyfluoroalkyl substances (PFASs)," 7 February 2023

U.S. Bureau of Land Management, "BLM Completes Sale of Federal Helium System," 2024年6月

Helium Stewardship Act of 2013 (U.S. Public Law 113-40)

USGS Mineral Commodity Summaries 2024 ? Helium

DPAS (Defense Priorities and Allocations System), 15 CFR Part 700

DoD, "Securing Defense-Critical Supply Chains: Report to the President," 2022

企業発表

3M Press Release, "3M to Exit PFAS Manufacturing by the End of 2025," December 20, 2022

Solvay spin-off announcement → Syensqo launch (2023年12月)

Chemours Fayetteville GenX settlement (2023)

各社Annual Report / IR資料 FY2023: Applied Materials, Lam Research, Tokyo Electron, ASML, KLA

学術・業界資料

NIST Chemistry WebBook, NIST Standard Reference Database 69

Donnelly, V. M. & Kornblit, A., "Plasma etching: Yesterday, today, and tomorrow," J. Vac. Sci. Technol. A 31, 050825 (2013)

George, S. M., "Atomic Layer Deposition: An Overview," Chem. Rev. 110, 111-131 (2010)

Kornbluth, P., "Helium market review," CryoGas International / Gasworld各号 (2022-2024)

van de Kerkhof et al. (ASML), "Enabling sub-10nm node lithography," Proc. SPIE各巻

SEMI, "Helium Supply in the Semiconductor Industry" 業界白書

SEMI Fluoropolymer Market Report

筆者関連記事

湯之上隆『3Mベルギー工場停止、驚愕のインパクト 〜世界の半導体工場停止の危機も』、EE Times Japan, 2022年4月11日

湯之上隆『続報・3MのPFAS生産停止、今は「嵐の前の静けさ」なのか』、EE Times Japan、2022年5月18日

EE Times Japan、2026年4月9日、コラム「湯之上隆のナノフォーカス(89‐1)」に『ヘリウム調達停止――AIブームを崩壊させる「見えない臨界点」(前編)』、EE Times Japan、2026年04月09日

EE Times Japanに近日中に、コラム「湯之上隆のナノフォーカス(89-2)」に、『ヘリウム調達停止――AIブームを崩壊させる「見えない臨界点」(後編)』、EE Times Japan、2026年04月10日

(補助文献)

[6] Gluge, J., Scheringer, M., Cousins, I. T., DeWitt, J. C., Goldenman, G., Herzke, D., Lohmann, R., Ng, C. A., Trier, X., Wang, Z., "An overview of the uses of per- and polyfluoroalkyl substances (PFAS)," Environmental Science: Processes & Impacts, 22, 2345?2373 (2020). DOI: 10.1039/D0EM00291G ? PFASの産業用途全体像を示すレビュー論文。半導体用途を含む。

[7] Techcet LLC, "Critical Materials Report: Fluoropolymers & Fluorinated Specialty Materials for Semiconductor Manufacturing," 2023. ? PFPE、FFKM、PFAの市場構造・サプライヤーシェアに関する業界レポート(有償)。


連載「湯之上隆のナノフォーカス」バックナンバー

筆者プロフィール

湯之上隆(ゆのがみ たかし)微細加工研究所 所長

1961年生まれ。静岡県出身。京都大学大学院(原子核工学専攻)を修了後、日立製作所入社。以降16年にわたり、中央研究所、半導体事業部、エルピーダメモリ(出向)、半導体先端テクノロジーズ(出向)にて半導体の微細加工技術開発に従事。2000年に京都大学より工学博士取得。現在、微細加工研究所の所長として、半導体・電機産業関係企業のコンサルタントおよびジャーナリストの仕事に従事。著書に『日本「半導体」敗戦』(光文社)、『「電機・半導体」大崩壊の教訓』(日本文芸社)、『日本型モノづくりの敗北 零戦・半導体・テレビ』(文春新書)。2023年4月には『半導体有事』(文春新書)を上梓。


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