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やっぱり、ハイテクベンチャーはやめられない!!EETweets 岡村淳一のハイテクベンチャー七転八起(1)(2/2 ページ)

» 2011年10月05日 08時00分 公開
[岡村淳一,Trigence Semiconductor]
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つぶやき起点の新連載スタート

 Twitterのつぶやきを起点にした新連載「EETweets 岡村淳一のハイテクベンチャー七転八起」の第1回はいかがでしたでしょうか。この連載は、EE Times Japan編集部の「もったいない」という気持ちからスタートしました。

 岡村淳一氏は、ハイテクベンチャーのTrigence Semiconductor(トライジェンスセミコンダクター)を創業し、現在取締役兼開発部長の職に就いています。日々の業務の合間に、Twitter(@trigence)に企業経営のあれこれや、エレクトロニクス業界に思うこと、若い技術者へのメッセージなどをつぶやいているのですが、これがとても面白いのです。同氏の長年の経験や、現在進行形の実体験を基に発せられるつぶやきは、エレクトロニクス業界の多くの技術者を勇気づけ、参考になるものだと思います。

 ただ、つぶやきは140字と限られているため、多くを語ることはできません。そこで、幾つかのつぶやきをピックアップし、そのつぶやきの背景や想いを連載として執筆していただくことになりました。連載第1回目ですので、同氏がハイテクベンチャーを立ち上げた理由や現在取り組んでいることを聞きました。

EE Times Japan(EETJ) Trigenceを立ち上げた理由や今後の目標を教えてください。

岡村氏 Trigenceを立ち上げた理由はたくさんあります。ある大手企業の半導体研究所に所属した1990年ごろに、米国のスタンフォード大学発のベンチャー企業だったRambusとの協業プロジェクトを経験したこと、多くの EDAベンダーがスタートアップから大きくなる姿をユーザーとして目撃したこと、このような体験を重ねるうちに日本発の独自技術を持ったベンチャー企業を米国のような産学連携という仕組みで立ち上げたいという気持ちが高まったことなどが理由です。

 たまたま縁のあった大学教授の方と、法務知財関係の知人、私との間に同じ想いがあったことが、Trigence Semiconductorが生れた経緯ですね。目標はもちろん、「夢は大きく!!」ですよ。

EETJ 現在取り組んでいることを教えてください。

岡村氏 デジタルスピーカー用のデジタル信号処理技術「Dnote」を開発し、その技術ライセンスを販売しています。2008年からプロモーションと開発を並行して進めていますが、当初は FPGAを使ったデモだったこともあり、あからさまにダメ出しをもらったことも数えあげればキリがありません。その後、LSI化した2010年末からは商品化に向けた具体的 な興味をもってもらえるようになりました。2011年は、初ライセンシーになっていただけるメーカーにも恵まれ、ようやく日本でもオープンイノベーションを利用し、新しい技術を導入する機運が生まれてきたことを感じています。

 Trigenceは、ハイテクベンチャーといってもベンチャーキャピタルから開発資金を「ドーン」、エンジニアを数十人「ドーン」、会計法務の専門家を「ドーン」っていう会社ではありません。役員2人と社員4人でまわしている会社ですので、基本はひとりひとりが何でもやります。伝票精算から、MATLABを使った回路設計、ボードの設計や部品の発注などなど。ハンダ付けは子供の頃からの趣味ですし、掃除やお茶出し、ゴミ捨て、荷物運びもやります。もちろん、特許の明細書も書きますし、助成金の申請書も書きます。会計事務所と資金繰りを相談したり、銀行とケンカしたり、役所に怒鳴り込みにいくことも。海外出張での技術プロモーション時はもちろん自分でレンタカーを運転します。なんだかんだで頑張っていられるのは、とりあえず健康なことと、家族や周囲の方の理解だと、日々感謝しています。

Profile

岡村淳一(おかむら じゅんいち)氏

1986年に大手電機メーカーに入社し、半導体研究所に配属。CMOS・DRAMが 黎明(れいめい)期のデバイス開発に携わる。設計業務の傍ら、1987年に導入したEWS(Engineering Workstation)とCADの立上げ担当になったことから、社内IT環境の構築や、設計ツールの評価導入にも多く関わった。とりわけ、高速SPICE関連ではEPICやAnagram、NASDAなどの評価に幅広く関わったこともあり、EDA業界にも人脈が多い。

 1996年よりDDR DRAM の開発チーム責任者として米国IBM(バーリントン)に駐在。駐在中は、「IBMで短パンとサンダルで仕事をする初めての日本人」という名誉もいただいた。1999 年に帰国し、DRAM 混載開発チームの所属となるが、縁あってスタートアップ期のザインエレクトロニクスに転職。高速シリアルインタフェース関連の開発とファブレス半導体企業の立ち上げを経験する。1999年にシニアエンジニア、2002年に第一ビジネスユニット長の役職に就く。2005年と2006年にはそれぞれ、開発成果を半導体の国際学会である「A-SSCC」で発表した。

 2006年に、エンジニア仲間3人でTrigence Semiconductorを設立。2007年にザインエレクトロニクスを退社した。現在、Trigence Semiconductorの専従役員兼、庶務、会計、開発担当、広報営業として活動中。2011年にはシリコンバレーに子会社であるDnoteを設立した。



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