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若きエンジニアへのエール 〜竹のようにしなやかな「節」を作ろう〜EETweets 岡村淳一のハイテクベンチャー七転八起(7)

「石の上にも3年」とはよく言ったもので、エンジニアリングでも3年という単位は、一段落の仕事を成すのにちょうど良い単位だと思います。3年単位で、成長の目標管理スケジュールを作ることをオススメします。

» 2012年04月02日 10時00分 公開
[岡村淳一Trigence Semiconductor]

@trigence」のつぶやきを出発点に、企業経営のあれこれや、エレクトロニクス業界に思うこと、若い技術者へのメッセージを連載中!!→「EETweets」一覧

 皆さん!こんにちは。4月は新年度の始まりの月。新しい職場や学校、仕事で多くの人が新たなステップを迎える時ですね。今回は、「若手エンジニアへのエール」という題目で、小生の過去を振り返りつつ、キャリアのステップアップに必要な短期/長期の目標管理という視点でまとめてみました。業務の目標管理なんて毎年会社に提出しているって?いやいや今回は、自分自身のキャリアの話ですよ。

 小生のお勧めは、「成長の目標管理スケジュールを作ろう!」です。もっとも、小生以上に活躍している若手エンジニアをたくさん知っているので、この提案に物言いが付かないだろうか?と、いつになく緊張していますけどね。だけど、エンジニアリングのプロジェクトを思い浮かべればスケジュール管理がいかに大事なことかは、エンジニアには共通の認識でしょう。だから、自分自身の成長のステップアップを考えるとき、スケジューリングというエンジニアリング手法を使ってみるのは、一番シックリとくるのではないでしょうか?

大手企業でどうやってキャリアを増やすか?というのは若手エンジニアの悩みかもしれないが、個人的には「首を突っ込めるだけ他部署に突っ込め」と言いたい。能動的に活動すると、いろんな部署の人と「社内」というだけで情報交換できるのが大手企業の良いところ。逆に受動的だと、所属している部署以外、まったく知らなくなる。


 「石の上にも3年」とはよく言ったもので、エンジニアリングでも3年という単位は、一段落の仕事を成すのにちょうど良い単位だと思います。3年後なら具体的なイメージも湧きやすい、仕事ともリンクさせやすい。小生は新人社員の時から、3年を1つのプロジェクト単位にしてエンジニア人生を総括してきました。学部卒で考えると多いのは22歳で就職して、3年で25歳、次の3年で28歳、3回目で31歳です。30歳ともなれば中堅エンジニアの端くれ。後輩もでき、先輩エンジニアとして振る舞わねばならない。もしかすると、30歳を区切りに転職を考えるかもしれないし、海外に駐在することになるかもしれない。

 正直に話せば、小生も入社当時から明確な目標管理スケジュールがあったわけではないのです。最初はなんとな〜く、「3年後には自分で回路設計がしたい」というような曖昧な目標だったのが、職場にEDAツールが導入されてからは「ツールの活用では、所属部署で一番の専門家になろう」というように具体的な目標管理に変わっていきました。たまたま職場の先輩の転職が続いたり、隣のグループに米国の名門、スタンフォード大学からのインターンが来たりといった刺激を受けて、いつの間にか「30歳には転職にチャレンジしてみよう」という目標管理も意識するようになりました。

大手企業に就職したことで、安定を得たと考えてつつがなく仕事を進めることに力を入れる人と、大きな仕事を経験するチャンスと考えて腕を磨くことに力を込める人。激動の時代に、前者が幸せをつかむとは限らない。日々能力を磨き、目の前を通り過ぎるチャンスに飛び乗る勇気を忘れないことがサバイバルには必要だ。


 今だから話せることだけど、「転職」という目標管理があったので、大手電機メーカーの研究所に所属していながら、転職支援企業に登録し、採用企業の面接を経て、先方からOKをもらったこともあります。でもそのときに感じたんだよね、「何かが違う」って。「これは自分の求めていたレベルのオファーじゃない」ってね。だからオファーを断り、そのとき所属していた職場で、目標とすべき技術を体得することに集中しました。その3年後に、人生の転機になったアメリカ駐在のチャレンジが来たのです。

 最初の3回のプロジェクトの間には、30歳の時点で到達すべき目標にまでたどり着けるような、ホップ・ステップ・ジャンプの目標管理スケジュールが必要です。実力アップのためにスポーツ選手が日々のトレーニングを怠らないように、エンジニアだって日々の努力を忘れてはならないはず。専門書を読む、学会に参加する、外国語やプログラム言語を習得する、チョットした毎日の研さんの重要性は言うまでもありません。だけど、人間だからついサボっちゃうし、先延ばししがちです。だから、そうした努力に向かう気持ちを後押しするために、具体的な目標に向けた3年単位のスケジュールを組むことが有効なのです。

30歳を過ぎると小言を言ってくれる人が急に減る。フィードバックがないと全ての系は不安定な状態に陥るから、この時期に精神な問題を抱えることも多い。安定を求めるならネガティブフィードバックつまり、自分の弱点を教えてもらうことだ。褒めてもらって安定するって基本的に難しいんだよ。


 もう1つ大事なことは「節」を作ることです。竹がしなやかで強いのは節があるからだけど、エンジニアも同じだと思う。イノベーションに必要なフレキシブルな発想を持つためには、そのキャリアに「節」が必要です。例えば、10年や人生のひと回り(12年)を区切りに、職場や職域を一度リセットして別のチャンレンジに挑戦してみる、転職してみるのも良いかもしれない。海外へ出るのも良いだろうし、起業というチャレンジもありです。環境が変わると、その時点の自分の正味の能力と向き合うことができます。そのことこそが、その後の目標管理スケジュールの設定に大きく影響してくるはずです。

若手エンジニアが超えるべき第1段階って、我が身に降り掛かる火の粉を自分の力で振り払えるようになることだ。上司に頼らずに、トラブル処理やスケジュール調整で相手を納得させられるようになって初めて、中堅エンジニアと言えるよね。技術力ばかりひけらかして、仕事の調整ができないようでは半人前。


 偉そうなことを書いてきたけれど、小生だってまだ9回目のプロジェクトが始まったばかりだし、節らしい節といえば34歳の時にアメリカのIBMに駐在させてもらった時の経験程度しかありません。まだまだ発展途上だし、もっともっと経験を積んで成長したい。サラリーマンのエンジニア人生の期限を60歳とすれば、新人から数えて、13回のプロジェクトしかないのです。13個の升目しかないスゴロクで遊んでいるとしたら、毎回のサイコロをどう振るかがいかに大事なことかは容易に想像できるはず。充実したエンジニア人生を送るためには、自分自身の目標管理スケジュールが必須だと思う。もちろん、最も重要なのは健康でいること。働き過ぎで体を壊したりストレスで精神を病んだりしたら、「一回休み」の目を出してしまうからね〜。

Profile

岡村淳一(おかむら じゅんいち)

1986年に大手電機メーカーに入社し、半導体研究所に配属。CMOS・DRAMが 黎明(れいめい)期のデバイス開発に携わる。1996年よりDDR DRAM の開発チーム責任者として米国IBM(バーリントン)に駐在。駐在中は、「IBMで短パンとサンダルで仕事をする初めての日本人」という名誉もいただいた。1999年に帰国し、DRAM 混載開発チームの所属となるが、縁あってスタートアップ期のザインエレクトロニクスに転職。高速シリアルインタフェース関連の開発とファブレス半導体企業の立ち上げを経験する。1999年にシニアエンジニア、2002年に第一ビジネスユニット長の役職に就く。

2006年に、エンジニア仲間3人で、Trigence Semiconductorを設立。2007年にザインエレクトロニクスを退社した。現在、Trigence Semiconductorの専従役員兼、庶務、会計、開発担当、広報営業として活動中。2011年にはシリコンバレーに子会社であるDnoteを設立した。



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