小生のようなベンチャー経営者がファウンダリーの話をするのかって? 機器メーカーやハイテクベンチャーが、半導体を活用したビジネスを展開する際に避けられない存在であること。そして、ファウンダリーを使いこなすことや、ファウンダリーと協業していくことが、世界の半導体ビジネスで勝ち残っていくための必須事項だと考えているからです。
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皆さん、こんにちは! 今月は「ファウンダリー」に関してのお話です。半導体業界にいない方にはなじみがない言葉かもしれませんが、一言で言えば半導体チップの製造受託企業です。例えば、FPGAの大手ベンダーであるAlteraやXilinxは製造設備を自社で持たず、ファウンダリーに製造を委託しています。同様に、QualcommやNVIDIAも自らはLSI設計に注力し、製造はファウンダリーに任せています。世界の半導体ビジネスを、生産量の面でも技術の面でもリードしている存在がファウンダリーだと言えるでしょう。
なぜ、小生のようなベンチャー経営者がファウンダリーの話をするのかって? それは、日本の大手半導体企業が軒並み国内の製造拠点を閉じているという市場背景もあり、機器メーカーやハイテクベンチャーが、半導体を活用したビジネスを展開する際に避けられない存在であること。そして、ファウンダリーを使いこなすことや、ファウンダリーと協業していくことが、世界の半導体ビジネスで勝ち残っていくための必須事項だと考えているからです。
同じ半導体でも、メモリとロジックでは本質的にビジネスモデルが異なるのだが、どうしても同じ半導体技術という枠組みの延長で語ってしまうのが、ボタンの掛け違いのもとだ。半導体はよく出版業に例えられるが、メモリは良しとしても、ファウンダリーは飲食業に近いと思う。
小生がファウンダリーと初めて出会ったのは1999年のこと。東芝を辞めてベンチャー企業に飛び込んだ時です。当時、ロジック系の最先端プロセスは0.18μmでしたが、ファウンダリーに委託できるのは1世代遅れた0.25μmだったと記憶しています。まだまだ、ファウンダリーの技術は最先端に追い付いていませんでした。もっとも、飛び込んだベンチャー企業が使っていたのは0.5μm。新しい製品群を0.35μmのテクノロジーで作ろう!というタイミングでした。
振り返れば、現在ファウンダリー最大手のTSMCもその当時は小所帯で、ベンチャー企業に対しても手厚くサービスしてくれました。ファウンダリーの生い立ちやビジネスモデルに関して、その社員や経営者でもない小生が語るのも変ですが、ファウンダリーを利用してきた視点で彼らのビジネスを俯瞰(ふかん)すると、「サービス」という言葉がキーワードだと感じています。
ファウンダリーという業態の本質は、技術にではなくサービスにある。一度大手半導体の部長クラスから、どうやって選ぶんだ?と聞かれたが、「レストランと同じです。良いサービスのファウンダリーは料金が高い、サービスがいらないのであれば、安い店がありますよ」ってことだ。料理がうまいかはその次。
当時所属していたベンチャー企業にとっては0.35μmを使うのは初めてでしたが、それまで東芝の研究所で業務をしていた小生には既に経験のあるプロセスです。TSMCの担当者にいろいろ細かいことを聞いてやろう!って、手ぐすね引いて待っていたのですが、0.35μmプロセスの説明にきた台湾人の技術担当者の知識レベルがものすごく高いことに驚きました。こちらの質問にその場で回答してくれるし、必要な資料は適宜開示してくれました。
例えば、標準入出力インタフェースセルを使わないアナログLSIの設計では、静電気放電(ESD)対策素子の設計と性能が、製品立ち上げスケジュール尊守の鍵になります。通常、ESD対策素子の設計というのは、日本の大手企業の中でも明確な設計指針がなく、部署ごとのノウハウになっていることが多い技術でもあります。ところが、ファウンダリーからESDに関して開示された「R&D Document」には、耐圧と設計の関係を示した詳細なデーターが含まれていました。半導体設計者が、LSIに求められる耐圧と実装面積のオーバーヘッドを計算して設計するのに十分な資料です。
これが、小生が「ファウンドリー=サービス」なんだと感じた瞬間でした。日本の半導体企業の製造受託サービスを使った経験もありましたが、ESDの設計ガイドラインがある企業はまれでした。“人間”ESDチェッカーなる担当者が、その企業の製品のESD設計をすべて検査し、認証していたことが、委託製品でのトラブルが発生した後に分かったという笑えない話もあります*1)。
ファウンダリーは技術が悪いと言われた時代が、チョット前までの常識だった。レストランで例えれば、「あそこはサービスは良いけど、料理はイマイチ」ってことだが、そういう店はたいがいは、「最近は料理の質も上がって一流になったね」ってなる。繁盛することが店の技術を押し上げる。事実そうなった。
日本半導体の特徴である垂直統合という仕組みの中で、設計側はプロセス側に甘え、プロセス側は設計に甘え……という図式が出来上がり、「すり合わせ」という構造の中でいつの間にか見えない負債になってたまってしまったのかもしれません。人材の流動が少なく外部の情報が入らない社会構造や、新卒プロパー社員にこだわる企業の体質も、複数の会社を渡り歩いた小生には、日本半導体が衰退した1つの要因に感じます。
最近、昔の同僚から「どこのファウンダリーのPDK(LSIの設計キット)が良いか教えてくれないか?」って質問されることがあります。小生に言わせると、サービスは“ピンキリ”。そして、世界のライバル企業は、それをうまく使いこなしています。サービスをどのように使いこなすのか? 例えると、運送会社の配送サービスを利用して、どのように自社のビジネスを展開するかという議論であって、どこの運送会社の配送サービスが良いか?という議論ではないのです。受託サービスの質が良ければ自社ビジネスが勝てるとは限りません。
新しくできた繁盛店を「料理はイマイチ」だと見下していた老舗のレストランは、自分の店のサービスの向上をなおざりにし、ごひいき客だけを相手に商売していたために、あれよあれよと没落……それが今の姿ではないかな。
ひいき客も昔からのつきあいを後ろ盾に、やれ「裏メニューを出せ!」だとか、「特別料理はないのか?」だとか、わがままばかり言っていたが、いざ老舗が傾いてそういう料理を出せなくなると、新しい店の料理や作法が口に合わず、食事も満足に取れなくなった……っていう事実もあるよね。
25年以上、半導体業界で飯を食ってきた我が身には、昨今の日本半導体の没落ぶりには、目を覆うものがあります。しかし、最先端技術が他社にまねのできない「コアコンピタンス」だった時代はもう終わりました。技術に加えて、「サービス」もコアコンピタンスになるという波に乗れなかったのであれば、現在の没落ぶりも仕方がない。これからは、新しい生態系の中で、半導体がコアとなるビジネスを考えていかねばならないと思います。幸いなことに、今の世の中で半導体を使わずに暮らすことはできません。半導体の応用分野は、ますます裾野を広げているように感じます。そして、アイデアを半導体で具現化するコストが大幅に下がっているのです。
そんなことを言ってもリストラ警報発令中で、会社に閉じこもっているしかないよ〜って、確かにその方が安全かもしれない。でも起業した経験から言わせてもらえば、「天は自ら行動しない者には救いの手を差し伸べない」のも事実です。ビジネスチャンスと能力があるのなら、まずはファウンダリーを使ってチャレンジしてみましょうよ!
岡村淳一(おかむら じゅんいち)
1986年に大手電機メーカーに入社し、半導体研究所に配属。CMOS・DRAMが 黎明(れいめい)期のデバイス開発に携わる。1996年よりDDR DRAM の開発チーム責任者として米国IBM(バーリントン)に駐在。駐在中は、「IBMで短パンとサンダルで仕事をする初めての日本人」という名誉もいただいた。1999年に帰国し、DRAM 混載開発チームの所属となるが、縁あってスタートアップ期のザインエレクトロニクスに転職。高速シリアルインタフェース関連の開発とファブレス半導体企業の立ち上げを経験する。1999年にシニアエンジニア、2002年に第一ビジネスユニット長の役職に就く。
2006年に、エンジニア仲間3人で、Trigence Semiconductorを設立。2007年にザインエレクトロニクスを退社した。現在、Trigence Semiconductorの専従役員兼、庶務、会計、開発担当、広報営業として活動中。2011年にはシリコンバレーに子会社であるDnoteを設立した。
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