そもそも、自由主義経済において、経済活動の目的は「儲けること」です。
ですから、環境問題に対する規制は、「誰でも何でも自由にお金を儲けてO.K.」を掲げる自由主義経済の理念に対して『儲けるな』と命じていることになります。
例えば、A会社の工場では、地球環境を守るために、有害な物質を含む原材料は使わずに、高価でも安全な原材料を仕入れ、厳しい廃煙、廃水規制を自らに課し、その結果、市場価格が2倍に跳ね上がったとします。
一方、そのような自己規制を一切行うことなく、危険な物質を使い、有害な廃棄物を垂れ流すB会社が、同じ製品を市場価格の半分で放出したとします。
「地球環境に配慮しているA会社は偉い。例え、価格が4倍高くても、A会社の製品を買うぞ」という行動を取る消費者を、少なくとも私は知りません。私であれば、4倍どころか、4%でも安い製品の方を買うでしょう。
そして、B会社の製品だけが売れ、環境に配慮し続けたA会社は、市場を奪われ続け、時を待たずに倒産し、こうして、環境問題に配慮する会社は、市場から全て消え去ることになります。
上記の例を、A社、B社の関係から、A国、B国の関係に置き換えて考えれば、「環境に配慮する政策を採る国から破綻していく」ことは明白です。
前半でお話した通り、各国政府は、環境対策という方法で、できるだけラクをして未曾有の災害を回避したいと考えているはずです。
さらに欲を言えば、
―― 自国を除く全ての世界中の国が、環境問題対策をしてくれればいいのに
と願っていることも間違いないでしょう(フリーライド[ただ乗り]といいます)。
ですから、環境問題の規制は、全ての国で同時に同じルールが課せられ、そしてルール違反に対しては相応の罰則が課せられなければ機能しません。
そして多くの場合、これらのルールは上手く機能しないのです(これについては、次回以降にご説明します)。
だからこそ、私は、オゾンホール問題の「改善」の話を聞いた時、びっくり仰天したのです。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.