須藤:「森田さん、営業部からの要求。課長でブロックしてくれませんか? 俺らは、コストと納期のことで開発が手いっぱいなことは課長も知っているでしょう?」
森田:「また、その話か…。まぁ、言うことは分かるが、そこを何とかするのもお前の仕事だろう?」
須藤:「何ですか、それ? 顧客要求を全て飲んで製品設計などしたら、機能追加ばかりで過剰設計にもなりかねない。安くなるわけないじゃないですか。納期だってかかりますよ。もっと、製品ラインアップで差別化するなどやり方があるでしょう。先日、企画部の佐伯課長が発表した今後の製品戦略方針では、そうなっていたはずですけど」
企画部の課長である佐伯慎介(40)は、ビジネススクール卒業で頭の回転が速く、別の大手メーカーの製品企画部からの転職組だ。須藤は佐伯の考えに共感することも多く、佐伯を尊敬している。
森田:「お前の上司は佐伯君ではない、自分だ。一体どっちを向いて仕事をしているんだ!」
須藤:「常に上の顔色をうかがって仕事をしている森田さんに、そうは言われたくないですけどね」
森田:(一気に顔色を変えながら)「何だ今のは?聞き捨てならんぞ!」
須藤:「バカらしい……歴史ある湘南エレクトロニクスは、いつからこんな腐った会社になってしまったんだ……」
森田:「おい、ちょっと待て!」
呼び止める森田を後に、振り返ることなく須藤は自分の席に戻った。開発課内で、須藤と森田の衝突は珍しいことではないのか、周囲はさほど気にする様子もない。須藤の部下の大森純(29)も苦笑いをしながら、「相変わらず須藤さんらしいや」と思っていた。須藤自身も「いい加減、オトナにならなきゃ!」と自覚しているものの、ついカッとなって乱暴な言葉を発してしまうところはなかなか直らなかった。
このやりとりを見ていた人物が、もう1人いる。技術部長の中村英也(54)だ。
13年前に中村が開発課長だった時に、配属されてきた新人が須藤であった。須藤は配属時に「映画が大好きな自分が、映像機器の開発に関われることがとてもうれしい。会社と製品にウソをつかないエンジニアになりたい」と熱く、抱負を語っていたことを思い出していた。同時に、「須藤は昔と何ら変わっていない。むしろ変わらなくてはならないのは、会社であり、われわれ幹部なのではないか?」とも感じていた。そう思わせたのは、須藤が森田に放った「歴史ある湘南エレクトロニクスは、いつからこんな腐った会社になったんだ」という言葉だ。社員が自分の会社についてこう言い放つことに寂しさを覚えながら、その責任の一端はわれわれにもあるのかもしれない、と中村は考えていた。
中村自身も開発課のエンジニア出身だ。彼はこう思っていた――。
昔と比べて、開発のやり方や製品構成もずいぶんと変わってきた。昔は、顧客の言う通りに製品を作っていればよかったのだ。
しかし、今ではデジタルカメラやスマートフォンをはじめ、映像関連機器はいろいろなところに安く出回っている。当社の製品はプロ向けでコンシューマー(消費者)向けではないが、新規のセキュリティ事業も、インターネットやIoTに目を付けた大手メーカーや、ハードウェアベンチャー企業の参入が著しい市場になっている。画像認識・処理ソフトウェアの分野では、技術的に当社は競合に比べて後れを取っている。比較的、緩やかだった業界しか経験してこなかった当社が、この競争の中でオリジナリティーを出しながら、他社製品に対して優位性を出せる製品を出せるのだろうか?
――いや、出せていないからこそ、ここ1、2年で業績は徐々に頭打ちになってきている。社員は皆、当社は業績が良い優良企業だと思っているだろうが、遅かれ早かれ、業績はマイナス方向に転じるかもしれない。それを見越して、経営陣からは、開発現場に無理なコスト削減、短納期開発といった無謀な要求が落ちてくる。こんな状態では、エンジニアの創意工夫を生かせる余裕もないし、エンジニアも育たない。良い製品づくりができる組織になっていないことを真摯に受け止めなければならない。
今、自分と同じことを危惧している管理職が、この技術部の中に何人いるだろうか? 森田開発課長は関心がないことは明らかだ。他の課長はどうだろうか。さらに、経営層はどう思っているのだろうか――?
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