では、なぜ、この仮説が成り立たなかったのか。
震災後に、人身事故が激減したことは間違いないはずなのに ―― と、私はふとここで気が付きました。
――震災後って、「いつまで」を言うんだっけ?
いや、もちろん、今、この時にあっても、多くの人が震災の復興のために尽力しています。震災後とは、まさに「今」そのものです。
しかし、私たち国民の全員が一致団結して震災の被災者に思いをはせ、『自殺なんかしている場合じゃない』と強く思い続けることのできた期間は、 ―― 残念ながら ―― もう終わっている。
この事実を、過去の新聞記事やニュース記事からウラを取るのは簡単だと思いましたが、私は、「この私」が、3・11の震災をどのように忘れていったのかを、定量的に知りたいと思いました。
そこで、私がここ何年間、1日も欠かさずに記録し続けているブログを使って、以下のような調査をやってみました。
2011年3月と4月には、毎日のように、被災状況、消防車やヘリコプターによる原子炉冷却活動、余震、放射能流出、原子炉格納容器爆発、「想定外」、SPEEDI(放射性物質拡散予測システム)について記載していました。
それが、たった半年後の2011年9月には、言及しているブログ数がゼロになっていました。
この事実に、私はがく然としましたが、私の中の3・11震災の時効が、「たったの半年に過ぎなかった」という言い訳のしようもない証拠だと思うのです。
また、国民全体に適用範囲を広げてみると、これ以外の要因として、「距離的な時効」なるものもあったように思うのです。
例えば、私の住んでいる関東エリアでは、震災直後、徹底した自発的な節電が行われ、繁華街の中ですら薄暗さを感じたものでした。
しかし、実家の名古屋では、まるで3・11の震災が他国での出来事であったかのように、街の中でも家の中でも、普通に電気が使われて、とても明るく(人々の表情も)、大変戸惑ったのを覚えています。大阪に出張してきた同僚が、「あいつら、使っていない部屋の電気をつけっぱなしにしている」と怒りながら帰社してきたこともありました。
以上をまとめますと、
(1)あの未曾有の大災害であった2011年の3・11震災であっても、1941年にぼっ発した太平洋戦争の時のような、国民の危機感や恐怖や、それらに基づく国民全員の一体感には遠く及ばず、
(2)3・11震災は、わが国の鉄道による飛び込み自殺の抑制には至らなかった、
ということになるのだろうと思います。
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