顕微鏡について補足すると、顕微鏡は発明当初、可視光線を利用する光学顕微鏡であった。光学顕微鏡は、伝染性疾患の原因の1つである病原菌(病原性細菌)の発見と観察で威力を発揮した。しかし光学顕微鏡では、細菌よりもはるかに小さな病原体であるウイルスを観察できるほどの分解能がなかった。
ウイルスが観察可能になるのは、光ではなく、電子を使う顕微鏡、すなわち電子顕微鏡の発明と商用化以降のことだ。初めての電子顕微鏡(透過型電子顕微鏡)が発明されたのは20世紀に入ってからで、1931年である。ドイツのマックス・クノール(Max Knoll)とエルンスト・ルスカ(Ernst August Friedrich Ruska)が共同で開発した。なおルスカは電子顕微鏡の開発者として1986年のノーベル物理学賞を受賞している(クノールは1969年に死去していたので受賞資格がなかった)。
光学顕微鏡の限界と電子顕微鏡の不在によって研究業績の一部を否定されたのが、医学者で細菌学者の野口英世である。野口は米国のロックフェラー医学研究所に在籍中の1911年に、梅毒スピロヘータの純粋培養に成功したと発表したことで一躍、脚光を浴びる。
野口は1913年には小児麻痺(ポリオ)の病原体を発見、狂犬病の病原体を発見したとそれぞれ発表する。これらの発見もまた素晴らしい成果として称賛される。また1918年には南米の黄熱病の病原体を発見したと発表する。しかしポリオと狂犬病、黄熱病の病原体はいずれもウイルスであり、野口によるこれらの発見は後世の研究によって否定されてしまう。
さらに、1911年に発表した梅毒スピロヘータの純粋培養は、追試の成功者が現れず、野口が培養した細胞株を別の培養容器に移し替えて培養した細胞株(継代培養株)は病原性を失っていた、などの問題が生じていた。これらのことから、梅毒スピロヘータの純粋培養に関する業績も、現在ではほぼ否定されている。
野口英世の誤りは「誠実な誤り(Honest Error)」だったといえるのだろうか。これは最近になって疑義が持たれ始めた。特に黄熱病の病原体発見は、黄熱病と良く似た症状を示すワイル病の病原体を見間違えたことが明らかになっている。そして当然すべきことである血清反応から、野口は自分が発見したのが黄熱病ではなく、ワイル病の病原体であった(つまり発見は誤りであった)と自覚していたとされる(参考:「野口英世はなぜ間違ったのか(43) まとめ」)。にもかかわらず、学術論文はそのようには発表しなかったというのだ。(文中敬称略)
(次回に続く)
⇒「研究開発のダークサイド」連載バックナンバー一覧
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.