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エンジニア史に残る10人の女性たち(前編)“COBOLの母”からアポロ11号の救世主まで(1/3 ページ)

工学の分野では、古くから女性が活躍していた。プログラミング言語「COBOL」の誕生、世界初のプログラミングコード、アポロ11号の月面着陸……。サイエンスやテクノロジーの歴史に残る出来事の舞台裏で活躍した女性エンジニアたちに焦点を当てる。

» 2015年03月31日 10時00分 公開
[Suzanne DeffreeEE Times]

Grace Murray Hopper:COBOLの生みの親

 「エンジニア史で重要な女性」を考える時、Grace Murray Hopperを除外することはできない。

 Hopperは、ニューヨーク市で働くエンジニアの孫として1906年に生まれた。Hopperは、第2次世界大戦が始まると、WAVES(Women Accepted for Volunteer Emergency Service)プログラムに参加、コンピュータ「Mark I」のプログラミングチームのメンバーとなる。Mark Iは当時の米国では、最大規模かつ最初の自動デジタル計算機だった。

 その後、Eckert-Mauchly Computer社で商用コンピュータ「UNIVAC I」の開発に従事したHopperは、「コンピュータ言語を、マシンコードというより、人間が使う言語に近いものにできないか」と考えるようになる。この理念が、プログラミング言語「COBOL」の開発へとつながったのである。

photo 「COBOL」を手に持つGrace Murray Hopper

Betty Holberton:戦争がきっかけでプログラマーに

 Betty Holbertonも、Hopper同様、コンピュータの発展に貢献した女性である。彼女は、初期のコンピュータ「ENIAC(Electronic Numerical Integrator and Computer)」の6人の女性プログラマーの1人だった。

 Holbertonがプログラマーとなったきっかけは、第2次世界大戦だった。当時、米軍は弾道軌道を計算するため、数学の知識がある人物を求めていた。だが、候補となる多くの男性は戦地に赴いていたため、軍は大学卒業の資格を持つ女性に目を向けたのである。

 ここから、Holbertonはプログラマーとしての道を歩み始め、後に、UNIVACの開発にも携わっている。Holbertonは、ジェネレーティブプログラミングシステムを最初に書いたエンジニアでもあった。さらに、BINAC向けのプログラム言語「C-10」の開発にも携わっている。

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