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あの医師がエンジニアに寄せた“なんちゃってコロナウイルスが人類を救う”お話世界を「数字」で回してみよう(65)番外編(6/10 ページ)

» 2021年02月26日 11時30分 公開
[江端智一EE Times Japan]

アストラゼネカ社の「ウイルスベクターワクチン」

 では次に、「アストラゼネカ社のCOVID-19ワクチン」についてお話しましょう。

 これも時々ニュースで登場する用語ですが、「ウイルスベクターワクチン」って何だと思いますか?

 ファイザー社のmRNAワクチンでは、スパイク(ギザギザの突起部)タンパク質の設計図をmRNAの形で注射します。

 これに対してアストラゼネカ社のウイルスベクターワクチンでは、スパイクタンパク質の設計図をチンパンジー由来のアデノウイルス(を遺伝子の運搬用に改造したもの)に組み込んで注射します。

 アデノウイルスの名前は、きっと皆さん一度は聞いたことがあるでしょう。普通の風邪や結膜炎など、誰でも一度は罹患したことがあるはずのウイルスです。

 ちなみに、アデノウイルスはSARS-CoV-2とは違い、DNAウイルスです。このDNA配列の内部に紛れ込ませてスパイクタンパクの設計図を運ばせるのです。このように遺伝情報の運び屋として使用するウイルスを「ウイルスベクター」と呼びます。

 ファイザー社のmRNAは添加物を利用して細胞へ侵入しましたが、これに対して、アストラゼネカ社の人工ウイルスは、注射で体内に入ると周辺の細胞と肝臓の細胞(なぜか肝臓に集積するようです。これについては、そういう物だと思うしかないです)に「感染」します。

 そして、運び込まれた遺伝子情報が転写されて「スパイクタンパク質をガンガン作れ」と感染先の細胞に命令を出します。まさに「なんちゃってSARS-CoV-2」と呼ぶのにふさわしいかもしれません。

 では、どうして「アデノウイルスへの遺伝子情報の組み込み」をわざわざ行うのでしょうか?

 どう考えたって、ファイザーのmRNAのほうが一見したところ単純でスマートです。世の中にはきっと「人工のウイルスにわざわざ感染するなんて怖すぎる!」と拒絶反応を起こす人もいるかも知れません。

 しかし、アデノウイルスベクターを使用する合理的な理由は複数あります。

 まずは、「感染して細胞の中でタンパク質を作る」という工程が通常の免疫の過程(病原体が感染した状態)を経るので、自然感染したときのような免疫応答が期待できるという点です。

 ちなみにこのアデノウイルスベクターは、1回細胞の中に入って感染したら、それ以上は増えることができない仕組みになっています。つまり、病原性をもつ普通のウイルスのように、感染⇒宿主細胞破壊⇒感染拡大のサイクルを起こすことがありませんので、安全性については問題がありません。

 これまでも世界中の研究室で使い倒されていますが、研究者がアデノベクターのせいで健康被害に遭ったなどという報告は聞いたことがありませんし、見つけられませんでした*)

*)公平のために書かせて頂きますと、研究者への健康被害はありませんでしたが、遺伝子治療の治験でアデノウイルスベクターの大量投与による死亡事例など、患者や被検者への事故や副作用は存在します(参考)。

 さらに、ファイザー社が採用したmRNAワクチンという戦略は、添加物の微妙なさじ加減で性能が極端に上下しますし、そもそもRNAは非常に分解されやすいという性質を持っています*)

*)これが、ファイザー社のワクチンは基本的に超低温(−75℃)管理が必要な理由でもあります。

 しかし、アデノウイルスベクターはその点において、「安定して効率的に細胞に入り込むことが、これまでの検討でしっかり担保されている」という安心感があります。

 ただ、安全性以外の問題があります。

 現在使われている「改造アデノウイルス」は人間にとって非常に安全で優秀な遺伝情報の運び屋なのですが、アストラゼネカ社のワクチンを1回打つと、「スパイクタンパク質に対する抗体=SARS-CoV-2に対する抗体」を獲得するのと同時に「運び屋であるアデノウイルスに対しての抗体」も同時に獲得してしまうとされています。

 ええっとですね、どういうことかと言いますと、完成した抗体(殲滅部隊)は、SARS-CoV-2におそいかかるだけでなく、ワクチンを運んでいる輸送車を襲撃する部隊も含む可能性がある、ということです。つまり、2セット目の接種では、ワクチンが体内で遺伝子の運び屋として働くことができなくなるのです。

 ですので、「効果がイマイチだから追加接種しよう」とか「変異株が出てきたからそれに合わせて新しい遺伝情報をアデノウイルスベクターに組み込んでワクチンを作ろう」などと考えた場合、単純に同じ種類のアデノウイルスベクターを利用できない可能性があるのです(参考)。

 1セットの接種でその時に使用したアデノウイルスベクターに対する中和抗体ができてしまうので、それ以降はそのウイルスベクターが感染しなくなってしまう可能性があるからです。感染しなければタンパク質も合成されず、それに対する抗体も作られません*)

*)ただし、これは理論上の問題であり、どのくらいの確率で運び屋であるアデノウイルスベクターに対する抗体ができるのかは調べ切ることができませんでした。

 当初、同僚は上記の理由から「アストラゼネカ社のアデノウイルスベクターワクチンは『1セット』=『単回投与』だろうね」と話しており、私も「そうだろうね?」と疑いもしませんでしたが、ワクチン接種間近になり実際のワクチン投与方法を確認したら、『1セット』=『28日間空けて2回投与』でした。

 正直なところ「???」ですが、治験で効果が証明されているなら、文句はありません(それでいいのです)。『机上の理論』より『現実の反応』です。

 ともあれ、「ハリボテのmRNA」を使うのではなく、本家本元の感染という手順を伴うワクチンですので、理論上では効果が強く、かつ長続きすることになっています。

(実は、ちょっと調べたら、この「アデノウイルスベクター」に関して、中国とロシアが開発したコロナワクチンに関して、興味深い(というか衝撃的な)事実が分かりました。興味のある方は付録をご参照ください)

 上記の内容を、以下の表でザックリまとめてみました。

 それにしても、新型コロナが医学の進歩に促す圧力は、ぶっちゃけ規格外です。

 戦争が科学技術を飛躍的に進歩させるとよく表現されますが、医学分野における新型コロナの影響は、まさに世界大戦並みといえるのかもしれません。

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