これまでの既存のワクチン(×ファイザー社のmRNA)では、弱いテロリスト(弱毒化したウイルス)やテロリストの死体(不活化ワクチン)、テロリストの武器(トキソイド)を用います。
これらを体の中にぶち込むと、免疫系が「こいつらは敵だ」と認識し、体の中で対テロリスト殲滅特殊部隊(抗ウイルス抗体やメモリーT細胞)の訓練がおこなわれるのです。
ただ、「弱いテロリスト」や「テロリストの死体」を大量に用意するのはそれなりに大変です。緊急事態である現在、これまでの手間がかかる手法を踏襲するだけでは世界を救えません。
そこでファイザー社がとった戦略が、人体内でテロリストの死体(の一部)を製造させよう」という作戦です。
21世紀に入り、「mRNA」=「タンパクの設計図」は工業的に合成できるようになりました。ならば、「それを注射して細胞に放り込めば、目的のタンパク質を自由自在に人体内で合成できる」はずです。
新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の全遺伝情報は、既にインターネット上に無料で公開されるレベルで明らかです*)。
*)ちなみに、これが武漢のオリジナルのSARS-CoV-2の遺伝情報です。
ファイザー社はコンピュータ上で「表面の突起(スパイク)の部分だけを丸パクリして、ウイルスの複製や安定に関する心臓部を全削除」した「mRNA」を設計したのです。
コンピュータによる“Dry Laboratory”が、この土壇場で威力を発揮したのです。私(江端)は、今、興奮しています(江端) (関連記事:「1ミリでいいからコロナに反撃したいエンジニアのための“仮想特効薬”の作り方」)
この、「なんちゃってSARS-CoV-2、ハリボテmRNA」は、ウイルスにとって肝心の複製機能を担う部分を全削除してありますので、当然ですがCOVID-19は発病しません。だって「ハリボテ」ですから。
でも、私たちの体の中の免疫系の方は、「ハリボテ」とは気が付かないまま、大量生産されるSARS-CoV-2の表面の突起(スパイク)部分に反応して、「対テロリスト殲滅部隊」、つまり「抗体」を着々と生み出します。
つまり、現代の科学は「人の体内にウイルスの一部をほぼ自由自在に作り出し、それに対する特殊部隊の訓練(抗体産生)を実施できる」、そんなレベルにまで達してしまったのです。
情報技術(IT)で設計し遺伝子技術(GT)で製造された人工ワクチンが、自分の体を欺(あざむ)いて、感染してもいない病気の抗体を作ってしまう ―― 。
これを、「気持ち悪い」「怖い」と感じる人がいるのは仕方が無いことです。
この感じは「原始人が始めて飛行機に乗るくらいのインパクト」……は言い過ぎかも知れませんが、近い物があるかもしれません。
現在ではmRNA(前述の“ハリボテmRNA”)は工業的に大量に合成できるので、翻訳したい部分さえ明確であれば、即座に何通りものワクチン候補がデザインできます。おかげで今回のように1年もたたずに世界中に供給なレベルでワクチンを開発することができたのです。
ただ、「mRNA合成は自由自在に工業的に簡単に行える」からといって「どんなウイルスのワクチンも1年以内に実用化可能」というわけではありません。
mRNAワクチン自体は、発想としては割と昔からあるものです。CDC(米国疾病予防管理センター)のワクチンの解説にもさらっと書いてありますが、ジカ熱やラビウイルス、サイトメガロウイルス、狂犬病ウイルスなどに対してmRNAワクチンの開発が進められていました(参考:Wikipedia)。
ただ、これまで、ちょっと微妙な成績ばかりだったので商業ベースで実用化に至ったmRNAワクチンはありませんでした。
今回、ワープスピード作戦≒「とにかく最短でやれ」というトランプ大統領による強力な政治的プッシュと、あと、本当にラッキーなことにmRNAワクチンの技術は2010年代に基礎的なデータが徐々に出そろい成熟してきたタイミングであり、さらにSARS-CoV-2に対するmRNAワクチンはたまたま「効果 >> 副作用」だったのです。
はっきり言いますと、
―― SARS-CoV-2という最凶最悪のウイルスに限って言えば、”mRNA”によるハリボテ作戦は「驚くほど相性が良かった」
そういう経緯もあり、商業的に運用される初のmRNAワクチンが世に出る運びとなりました。
今回うまくいったのは多分「スパイクタンパク質」というコロナウイルスの特徴的な構造があったから、だと(シバタは)勝手に思っています。「きっとこの飛び出た部分にくっつく中和抗体ができたら効果的だろう」というもくろみでワクチンを作ったら、たまたまうまくいったのです。うまくいって、本当に、本当に、本当に良かった。
「ワープスピード作戦」という、1兆円を超える大金をつぎ込む作戦に、商業ベースの実用化実績がゼロパーセント(!)の技術を含めることを認める決断をしたトランプ大統領の胆力には、本当に驚かされました。
もちろんmRNAワクチンだけではなく保険として他にウイルスベクターワクチンやDNAワクチン、昔ながらの不活化ワクチンも作戦に組み込まれていたので、言うほど大ばくちでもなかったのかもしれません。
ただ、それでも巨額の予算をつけて通常4年という開発期間をたったの1年未満で、しかも臨床試験の質をまったく落とさずに成し遂げたことは、すばらしいリーダーシップだったと思います。
短所だけの人間が大統領になれるわけは無いのだと思い知りました(褒め言葉)。
さて、mRNAワクチン(ハリボテmRNA)は、スパイクタンパク質(SARS-CoV-2の表面の突起、ギザギザした部分)の設計図を含んでいます。筋肉注射によって打ち込まれたmRNAは、ワクチンの添加物の働きで細胞内にスルッと入り込みます。
と、言うのは簡単ですが、このさじ加減が難しく、作用が強いと細胞にダメージが出るし、作用が弱いと細胞内にmRNAが入り込まないし、このあたりがワクチン技術のキモ(のはず)です。
さて「肩に注射したとして、一体どの細胞に取り込まれるのか(届くのか)」という疑問については、CDCの解説には「免疫細胞に……」みたいにさらっと書いてありますが、微妙にブラックボックス(よく分かっていない)になっています。
ここの部分、個人的にはすごく気になっています。脳や網膜や生殖細胞や心臓にmRNAが入り込んでウイルスタンパク質がガンガン製造されて、細胞の表面に飽和する(ウニャウニャ出てくる)ということが考えられるのですが……考えただけで「気持ち悪い」。
しつこいですが、無害の「なんちゃってSARS-CoV-2」なのですから、どんなに体中に拡散されようが、発病しようがありませんが、「体の一部(の細胞)に作用しただけで免疫が得られた」という安心感が欲しいのです*) ―― 個人的に。
*)遺伝子導入について検討した動物実験では打ち込んだ周辺(≒添加物の濃度が保たれている範囲)の細胞(免疫細胞だけでなく、筋細胞、線維芽細胞、皮膚の細胞など)に無差別に取り込まれるようです(参考)。
ファイザーやモデルナの実験では、筋肉注射をした場合、注射部位の筋肉や所属するリンパ節、肝臓、一部脾臓にも届くことがで確認されているようです(参考)。肝臓や脾臓は免疫系の細胞が多いことが知られています。
皮下注射だとほとんどその場にワクチンが止まってしまうようで、筋肉注射と皮下注射ではワクチンの拡散の仕方が明確に違います。臨床試験と同等の効果を得るためには「筋肉内に注射すること」には意味があるようです。
動物実験では注射後に細胞へmRNAが取り込まれた直後から大体3日目までの間に細胞内で抗体がガンガン作られることになっています。
mRNAはいずれ分解され、ウイルスタンパク質(スパイクタンパク質)の合成能力は徐々に減っていきます。打ち込んだ設計図が永遠に蓄積すると言うことはありません。
どれくらい残存するかは教科書的には半減期は数分から2日程度となっており、タンパクが作られる期間はこの半減期に依存します。
なお、以下については、まだ私の調査が及んでいません。今しばらくお時間をください。
(1)各細胞内で作られたウイルスタンパク質がどのようにして免疫細胞に認識され、抗体産生につながっているのか
(2)細胞が壊れてウイルスタンパクがあふれ出すのか、はたまた、細胞膜表面にタンパク質が運ばれるだけで、抗体としての十分な働きをするのか、あるいは、たまたまmRNAを取り込んだ抗原提示細胞が重要な働きをしているのか、などなど……。分かったら、江端さんのブログでご報告致します*)
*)了解です(江端)。
ちなみに、気にしておられる方もいるかも知れませんので、生殖細胞への影響も調べてみました。
「生殖細胞(精子と卵子の細胞の元となる細胞)に、(ハリボテmRNA)が取り込まれることが無いか」という懸念 ―― つまり、「COVID-19の遺伝子情報が、赤ちゃんのDNAに書き込まれるような事態が発生するか」について、考えてみました。
(1)「量と濃度的に確率的に生殖細胞までは”ハリボテmRNA”は到達しない」とか、
(2)「届くかどうか実際に試してみたけれど、届いているという証拠はつかめなかった」とか、
(3)「逆転写酵素もないのにRNAの情報がゲノム中に入り込むことは原理的にあり得ない」とか、
(4)ついでに男性の場合には「血液精巣関門というバリアがあるので、血液中の物質がそのまま生殖細胞に接することはない(ことになっている)」とか、
科学者の間では「生殖細胞に関して問題が起こることは無い」と今のところ結論されています。
こんなことが発生するなら、“ハリボテ”ではない既存の弱毒化した生ワクチンでも大問題になっているはずですが、普通に子供に接種して問題になっていません。
それにしても、今後、今回の経験を元にして、これまで失敗してきた狂犬病やジカ熱、ラビウイルス、サイトメガロウイルス、インフルエンザその他の感染症に対してのmRNAワクチンの開発が急速に進むのか、それとも、コロナだけが特別ラッキーで唯一のmRNAワクチンの成功例となるのか。
医師としては、こちらも注目したいところです。
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