さて、私は、「英語に愛されないエンジニア」というテーマで、2年間連載を続けてきました。そして、我が国の同胞は「英語に愛されない国民」である一方で、「英語に愛されたい国民」になりたいことを、明らかにしました。
この英語と私たち日本人との「歪(いびつ)な愛」の形は、我が国が実施する「プログラミング教育」にも、同様に発生するのか? ―― と、少し心配になってきました。
つまり「プログラムに愛されないエンジニア」……はさすがにないかもしれませんが(そんなエンジニア、いなくなってしまえ!と思う)、「どうしてもプログラムを愛することができない私たち」という題名の本が出版されるようになるのかには、興味があります。
『子どもにプログラミングを教えて、自分は安泰な老後を』と考えている保護者はいない(少ない)かもしれませんが、『プログラミング教育必修化』にビビっている保護者は少なくない、と思っています。
そこにあるのは『パパ〜、ここ教えて〜』と子どもにせがまれても、全く応えることができない世界線です。
この恐怖に対応するには、『アウトソーシング』ですよね。つまり「(プログラミング)教室に子どもを放りこむ」です。ですので、さぞかしちまたの「子どもプログラミング教室は流行っていることだろう」と思って、ちょっと調べてみたのですが、意外な結果がでてきました。
2つの調査会社から出ているデータを併記してみましたが、「プログラミング」という項目は登場しないか、または、"1%"程度しか表れてきていません。比して"スイミングスクール"や"英語スクール"は、圧倒的です。
ところが市場規模(総売上)を見てみると、子ども向け外国語教室が1005億円なのに対して、子ども向けプログラミング教室は140億円です。ユーザー数(生徒数)が25倍も違うのに、売り上げは7.2倍しか違いません。これは、プログラミング教室の方が、必要経費(授業料)が高額であるということです。
プログラミング教室では、必要なPCやディスプレイ、あるいは実験用ロボットなどのハードウェア経費も含まれているからだと思いますが、それよりも、外国語教室ほどの市場競争が発生していない、と推測できます。
つまり、保護者が(多分、教師も子どもも)、『プログラミング教育』というものが、「どのようなモノであり、これから、どのようになっていくかが、見えていない」ということと、そもそも「何させればいいの?」が分かっていないのだと思います ―― 正直に申し上げると、私(江端)も全然分かりません。
次に、いわゆる、民間の「子ども向けのプログラミング教室」のカリキュラムの内容を調べてみたのですが、どの教室も、十分な情報が開示されていない様子でした。なんというか ―― プログラム教室のカリキュラムを表現する「言葉」が分からない ―― といった感じなのです。
なんというのでしょうか、『日本語を知らない外国人に、日本語で、日本語を教えるような』と言えばお分かり頂けるでしょうか。
上記の「(1)よく出てくる2つのアプローチ」は、文部科学省の運用指針を、そのまま丸パクリしているような紹介になっていますが、その内容についてまでは開示されていません。それでも、「座学」ではなく「自分の手で作る/動かす」ことを重視しているのは分かります。
上記「(2)その他(内容が全く開示されていない」の方は、これは、「大人向けの教室の内容を、そのまま子どもの教室用に、コピペしてきただけ」と、看破できるものでした。ただ、まれにではありますが、この内容に「ラクラク」と入ってしまえる子どもは、確かに存在しています(知っています)。
プログラミングに関して言えば、子どもの能力は、全くの未知数です。ですから、「プログラミングの扉を開く」ことは、保護者にとっては結構重要な責任だったりするのです ―― が、プログラミングと無縁に生きてきた、多くの保護者(特に文系出身者)にとって、その扉は「おそろしく重い」のです。
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