現在策定作業が進む国際標準規格IEEE 802.15.6は、これまで紹介した方式をさらに、ヘルスケアや医療分野に特化させたものといえる*2)。横浜国立大学の河野隆二氏は、IEEE 802.15.6を策定する意義は大きいと語る。「機器メーカーや半導体ベンダーが、安心して製品を作れる環境が整う」(同氏)からだ。NICTの医療支援ICTグループで主任研究員を務める李還幇氏もまた、「IEEE 802.15.6が策定されれば、BANの普及に向けて大きな弾みになる」という。
両氏がこのように産業界に与えるインパクトは大きいとする背景には、前述のようにIEEE 802.15.6が人体周辺でデータをやりとりすることに起因したいくつかの技術的課題の解決を図ることにある。
例えば、人体周辺では電波の伝わり方(伝搬状況)が複雑になる。人体に電波が吸収されてしまうことや、人体に送信側機器と受信側機器を取り付けた場合に、人が動くことでその位置関係が変わってしまうことが原因である。「送信側から受信側に直接伝わる『直接波』や体表面を回り込んで伝わる『体表回折波』、周辺の物体による散乱波などが混ざり合った複雑な状況になる」(東京工業大学の高田氏)。このような状況でも安定してデータを伝送する必要がある。
さらに、確実に電波によって人体に悪影響が生じないようにしなければならない。「そもそもBluetoothやZigbeeでは、人体が無線通信に与える影響を規格策定の段階で考慮していない。従って、BANの用途のうち、対応が難しいケースもあるだろう」(同氏)という。
そこで、IEEE 802.15.6では低消費電力に加えて、主な項目として(1)医療分野に十分使える高い信頼性、(2)人体に悪影響を及ぼさない出力信号、(3)人体周辺での電波伝搬の複雑さ考慮したPHY層とMAC層の設計という3つを満たした標準規格を策定することを目指す。
まず消費電力に関しては、無線端末を最大数年間という長い間稼働可能なレベルにすると規定した。具体的な値は、規格を半導体チップにどのように実装するかによって異なるため、規格策定が完了していない現時点でははっきりしないものの、「BluetoothやZigbee、IEEE 802.15.4aよりも低くなる」(NICTの李氏)見込みである。
(1)と(2)については、データ伝送速度や消費電力といった、規格が満たすべき各種仕様の大枠をあらかじめ規定した「TRD(Technical Requirements Document)」に要求項目を盛り込んだ。例えば、(2)に関しては電波が人体に影響を与える度合いの指標であるSAR(Specific Absorption Rate)値の上限について規定した。「ほかの無線通信方式ではそもそも、人体内部に無線端末を配置することを想定していない。しかし、BANではそのような用途を想定しているため、SAR値をTRDであらかじめ規定した」(NICTの李氏)という。
最後の(3)の人体周辺での電波伝搬の複雑さに関しては、人体表面や人体内部での電波の伝わり方を考慮に入れた「チャネル・モデル」を作成した。チャネル・モデルとは、送信側機器から電波を放射したときに、どのように空間を伝わって、受信側機器に到達するかを規定したもので、各企業や研究機関が提出したIEEE 802.15.6の規格案を評価する土台になる。チャネル・モデルの策定に携わった、東京工業大学の高田氏は、「(人体に送信機と受信機を張り付けて電波の伝わり方を測るといった)測定作業が、いくつかの技術要因があり、想定していたよりも大変だった。しかし、時間をかけて作業に取り組んだことで、ほぼ完成させることができた」と語った。
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