一般にリサーチ会社に求められることは、精度の高い数字(販売量や市場シェアなど)や正確な市場予測、それらを算出した背景(市場環境の変化や技術の進歩など)、分析に基づいた画期的な提案ということになるが、企業へのヒアリング(取材)はアポイントからそうスムーズに取れるわけではない。アポイントを取り付けても何でも正直に話をしてくれるというわけでもないし、会っているのに肝心なことはほとんどしゃべらずに子供の使いのような形でヒアリングを終えてしまうことも少なくない。
制作したMRをある企業に紹介したときに、その企業の販売量および市場シェアが出ていたとしよう。そのとき私がMRを紹介した担当者が自社の数字に疑問を持った。自分が把握している数字とは違う、従ってリサーチ会社のMRの数字の精度は低いと判断する。言い訳に聞こえるかもしれないが、考えてみてほしい。多くのヒアリング相手は販売(生産)量も価格も正確なことは言わないものだ。我々はそういう前提に立っている。
では、なぜこうした仕事が成立するのか。数字のことで言えば、あるメーカーの販売量を聞いた場合、その数字が正しいのかどうか、競合他社や材料サプライヤーなどに確認する。材料サプライヤーは、自社の材料をどれだけインプットしたらどれだけアウトプットされたか把握していることが多い。逆説的に、どれだけアウトプットされたか把握しているということは、顧客の設備能力を推定していることもある。自社の材料の生産・販売計画に響いてくるからだ。我々はこのようにして数字の精度を上げていく。ただ、それには時間とコストがかかる。
これまでお付き合いしてきたさまざまな顧客や広報担当者の話を総合すると、一般的に調査リポートとして数字の精度が許容される範囲は±20%程度のようだ。この数値では精度が高いとは言えないと感じた方々も多かろう。ここでまた考えてほしい。では我々が100%(あるいはそれに極めて近い)正確な数字を出したとしよう。それを見た業界関係者はどう思うだろうか。リサーチ会社は不法な手段でデータを入手しているのではないかと疑うはずだ。
この仕事を長くやっていると図らずも、非公開のデータや情報を入手することがある。しかし、私はそうしたデータは表に出さない。これが顧客や業界に対する信義だと考えている。オフレコと釘刺されたことは書かない。我々は産業スパイなどでは決してなく、マーケティング・リサーチ(市場調査)の専門企業なのである。
今回は、企業が市場調査をする目的や、市場調査とマーケティングの違い、リサーチ会社に求められていることを紹介した。次回は、材料/エレクトロニクス分野に話題を絞って、市場調査の基本を解説しよう。
〜連載を始めるに当たり筆者より〜
2011年8月末、当社(矢野経済研究所)の事業部のスタッフ宛てに電子メールが入り、それが私に転送された。EE Times Japanの編集者から市場調査やマーケティングに関する連載を企画したので、市場調査の必要性や手法、調査結果の概要などをしかるべき方に書いてほしい、という。EE Times Japanについては全く存じ上げなかったし、私は「筆がすべりやすい」ので協力することはないだろうと思っていた。しかしながら、なぜか話だけでも聞いてみようということになり編集者との会合を持った。編集者は執筆依頼の趣旨を熱く語ってくれたし、当社にとっては多少の宣伝になるかもしれないなどと考えて、この件をお引き受けすることにした。
私の所属する部署はCMEO事業部という。CMEOの意味は「Chemicals、Materials、Electronics、Optics」で、これら化学、材料、電気、光学の領域をカバーしている。今後何回か(現段階では終わりが見えていない)にわたって連載することになるが、可能な限り「開発者のための」という視点に立って書いていきたいと考えている。この連載を読んでくださったEE Times Japanの愛読者の皆さんのお役に少しでも立てればと考えている。
田村一雄(たむら かずお)
矢野経済研究所CMEO事業部の事業部長。1989年に矢野経済研究所に入社。新素材の用途開発の市場調査に広く携わる。その後、汎用樹脂からエンジニアリングプラスチック、それらの中間材料・加工製品(コンパウンド、容器包装材料、高機能フィルムなど)のマーケティング資料を多数発行した。現在は、デバイス領域まで調査領域を広げ、エレクトロニクス分野の川上から川下領域を統括している。知的クラスターへのコンサルティング実績も有する。ソウル支社長と台北事務所長も兼務。
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