前回に続き、1975年に焦点を当てる。この年、Intelにとって初めての海外工場となるマレーシア・ペナン工場で火災が発生した。工場はわずか1時間で全焼。工場再建までの間、Intelは他社の製造ラインを「時間買い」することで急場をしのいだ。
Intelの公式文書である「年次報告書(アニュアルレポート)」をベースに、Intelの創業期の活動を創業年(1968年)から1年ずつ記述する連載の第14回である。前回から、創業8年目である1975年の業績や事業活動などをご報告している。
「好事魔多し」ということわざがある。良いことには妨害が入りやすいという。良いことがあっても増長したり、有頂天になったりしてはならない、という戒めの意味も込められている。
Intelは1968年の創業以降、極めて急激に事業を拡大し、非常に大きな成長を遂げてきた。数多くの「好事(喜ぶべきこと、良いこと)」に恵まれてきたともいえる。
それがここにきて変調の兆しが出てきた。前回にご報告したように、1974年後半から1975年前半にかけてIntelの成長には急ブレーキがかかった。1975年の売上高は前年に比べて微増、営業利益と純利益は前年に比べて2桁減となった。「好事」における最初の「魔」だとも言えよう。
続いての「魔」は海外で起こった。パッケージ組み立ての主力工場である、マレーシアのペナン工場で火災が発生したのである。ペナン工場は1972年にIntelが同社としては初めての海外工場として建設した工場で、1972年末に製品の出荷を開始した。1973年からは本格的な創業を始めた。1975年には約1000人の従業員を雇用する大工場となっていた。
1975年の年次報告書(アニュアルレポート)は、残念ながら、ペナン工場の火災についてはあまり触れていない。一方、Intelが創業50周年を記念して開設したWebサイトには、ペナン工場の火災について述べたエピソードがある(参考リンク)。そこでこのエピソードから、ペナン工場の火災状況と復旧活動をご報告したい。
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